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それから慈雨がさゆやを着替えさせ、髪を結い、伽羅子がおにぎりを食べさせ、焙じ茶を入れる。おにぎりはさゆやの口には大きくて、ぼろぼろと端からこぼすのを、犬が嘗め取る。
「口無し、その着物は仕立てたばかりですからね。染みを作ったら容赦しませんよ」
慈雨が厳しい態度で犬に云う。「そもそも、こんな図体ばかり大きい犬を、家の内(なか)にまで上げなくても良いでしょうに。全くうちの若旦那は」
口無しは平然としておこぼれに預かった。口無しが傍にいると、さゆやは余計に小さく見える。
「また可愛い柄を選んだものだな、慈雨」
御隠居が少し離れた処からさゆやを眺めて感心する。有難うございますと、慈雨は鼻を高くした。
さゆやは伽羅子の持った盆から幾つめかのおにぎりを取って、
「これは伽羅子の方が似合うと思うんだけどな。桃の花だなんて、いい加減、俺に女物の反物を選ぶのはやめてよ、慈雨」
「嬉しいわあ、若旦那。でも、私はこんなふわふわしたのよりか、もっと凛々しいのが良いのよ。このエプロンだって、ひらひらしたのが鬱陶しくって」
そう云って、エプロンの袖についたフリルを引きちぎろうとする伽羅子を、慈雨が周章(あわ0てて止めた。
騒がしいさゆやたちを放って、御隠居はさっさと梅干しのおにぎりと沢庵を食べ終えると、
「さて、本日もお商売だ、お商売。もっとも、働くのは私じゃないがな」
莞爾と笑って、煙草盆を引き寄せる。
さゆやはツナマヨのおにぎりを大急ぎで口に詰め、焙じ茶で流し込んだ。
「開店だよ、みんな」
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