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その書道家の男は、それはそれは面倒くさそうな態度で、私の事を見てきた。 第一印象は、まるで、かの有名なフケだらけの探偵だった。  その、上から見下ろしてくる鋭いたれ目。端正な鼻に掛けられた、ずれ落ちかけた眼鏡。紺色の和服は皺だらけ、少し長めの黒髪はボサボサで、後ろで申し訳程度に結ばれている。  古い古民家を改装したようなこの家の雰囲気も相まって、明治か大正時代の人と対面しているような気分だった。 なのに、男の整った顔のせいなのか、はたまた、ちらりと見える鎖骨のせいなのか、30代に見えるその男からは、妙な色気が放たれていた。 そのせいで、私は緊張と世にいうイケメンのその面構えを目の前にして、その男をじっと見つめてしまっていた。 「何か用かい?」  その男は、不機嫌さを隠す事もなく低い声でそう言った。その声も、また腰に響くようなテノールで、私は、思わず唾を飲み込んだ。 「は、はじめまして、宮戸雪(せき)峰(ほう)先生。昨日、お電話致しました。鐘(かね)有(あり)映像制作所の大文字真琴と申します」 私は、そう言って震える手で名刺を差し出した。 その男、否、宮戸先生は名刺を受け取ると、じっと名刺を見つめてから、私を上から下までジロジロと見ていった。 その、あまりに遠慮のない視線に、私は久しぶりに妙な恥ずかしさを覚えた。 仕事が忙しすぎて美容室に行く暇もなく、面倒で短髪にした髪。激安で知られるスーパーで買ったズボンに、兄から譲り受けたジャケットと着古したスニーカー。 申し訳程度に化粧をしているとはいえ、見た目はまるで、貧乏な男子学生。とても28歳の女には見えない。 自分自身の意志で、この姿に収まっているため、納得しているとはいえ、やはりこのような顔の整った男に見つめられると恥ずかしさは湧いてきた。 そんな、嫌な時間が数分続いたあと。 ふいに、先生は、何も言わずに家の中へと入っていってしまった。 ポカンと先生の後ろ姿を見ていた私は、しずかな玄関に、ひとりポツンと取り残された。 「入れ」 「!」  家の奥から不機嫌な声が私を呼んだ。 私は、びくりと肩を揺らした。だが、それでも躊躇していると、再び部屋の奥から苛立った声が聞こえてきた。 「寒いからさっさと入ってくれないか!」 「お、おじゃまします!」 私は、慌てて玄関の扉を閉め、スニーカーを脱いで家に上がった。
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