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「あいつは慎重の意味を知らないのか?」
足早に階段へ向かいながら、申谷はさきに動き出していた牛尾の背に言葉を投げつけた。平坦で落ち着いた口調からは棘が突きだしている。
「あれー? 知ってると思ったんだけどなー」
牛尾は困ったように笑って首をかしげてみせた。
ふたりが階段を下ってくる足音に顔を向けるものはいない。階段のなかばですれ違った所員も、エントランスにいる数人の来客たちも、彼らの視線は一方向へ注がれている。
倒れたソファと井戸川、そして佇んでいる犬養。
事態を推し量るような静寂と緊張感のなかを、申谷と牛尾は爆心地へと急いだ。
「コラ―ッまこちゃんッ!」
騒然とした空気をはっきりとした女性の声が押しやっていった。
吹き抜けの天井いっぱいに響き渡る怒号をあげて、受付カウンターから牛尾なごみが飛び出した。
その叫びを背中で受け止めた犬養が体をビクつかせる。
素早く振り返った、その動きはさながら危機を察知した野良猫のように俊敏。
しかし、なごみの動きも後れを取らないほど早かった。
両手を伸ばして犬養の頭を掴んだ。
「ふんっ!」
気合いの掛け声とともに振り下ろされたなごみの額が犬養の額に激突。
ゴチンッと鈍い音があがる。犬養が後ろによろめいた。倒れたソファに足をとられて背中から倒れ込んだ。勢いよく後転をしたあと、頭を抱えてごろごろと悶えている。
「暴力、良くないっ!」
肩にかかる栗色の髪を払いながらなごみが吠えた。
足を肩幅に開いて仁王立ちしている姿にエントランスの空気が集約していく。
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