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 昭和五年十月十日の昼のことだった。 「あなた、緊急ですってよ」  いましがた受けとったばかりの電報を手に、妻が書斎へやってきた。何事かと、成田為三は書きものの手をとめ、電報の封を切った。 「シキユウコラレタシトウオン」  ──至急来られたし。東音  東京音楽学校か! 膝頭を打ち、為三はすぐさま立ちあがった。 「文子。少し出てくる」  声をかけると、妻の文子は心得たようすで、外出着を取りに隣室へむかう。  為三は長着の帯を解きながら、不安にかられた。下谷区にある東京音楽学校は、為三の母校だ。自分にこのような電報をよこすとは、よもや恩師の身に何かあったのではないか。  文子が洋服を携えてきた。もどかしく思いつつも袖を通し、タイを締める。朝に無精をせず、ひげをあたっておいてよかった。  為三は身なりをととのえるや、滝野川の自宅を飛びだした。
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