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耳を当てて中の様子を探るが、人の話し声はなく、ときおりぱちぱちと暖炉の薪のはぜる音が聞こえるだけだ。
その静けさが妙ではあるが、たしかに人の気配を感じる。少数のようだ。ならば単独でもなんとかなるだろう。
ともかく踏み込んでみようと、用意しておいた黒いマスクで顔を覆い、重厚な木のドアを薄く開けた私は、この目にうつった予想外の光景におどろき、茫然としてしまった。
なんと、その古びた狭い小部屋に、我が国の王女、エリカ姫がぽつねんと座しておられるではないか。
――これはいったいどういうことだ。姫君がおひとりでこのようなところにおられるなど、王女付きの護衛はいったいなにをしているのか。
万が一にでも姫君の御身に何事かあったら、自分の首ごときではとうてい済まされない。そんなことは騎士であれば当然の認識のはず、あとで今日の護衛をつかまえて、徹底的にしぼりあげてやらねばなるまい。
などと私が怒りに燃えていると、ふと姫君のため息と小さなつぶやきが聞こえた。
「どうしましょう……」
その切なげな声音に、何事か深いお悩みでもあるのだろうかと思い、私は先ほどの怒りも忘れて、しばらくの間、声をおかけすべきかどうか迷っていた。
室内には何とも言えぬ甘い香りがただよい、中央のテーブルに置かれた小箱には、茶色の丸い塊がいくつも入っている。チョコレートのようだ。
自分のような武骨物には縁のない話だが、女性が想う人にチョコレートを贈るという風習が我が国にはある。
年頃の姫君がこっそりとチョコレートを作っているということは、すなわち、誰か密かに心想う人がおられるのだろう。なんともかわいらしいことだ。
お相手は近隣諸国の皇太子か、王子か、それとも上流貴族のご子息か。しかし、それにしては浮かない顔をしておいでだ。さきほどのため息といい、やはりなにか気にかかることがおありなのだろう。
だがそれよりも、こんなところにいつまでもおひとりでおられてはいけない。早々にお部屋へお戻りいただくべきだ。が、役目柄、今の自分が姫の前に出るわけにもいかないので、だれか宿直のものでも呼ぼうと、急ぎ取って返そうとした、ちょうどそのときだった。
王女はおもむろに首をふって立ち上がり、目の前の小さな箱のフタをしめると、手にしたそれを暖炉めがけて高く振りあげたのだ。
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