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私は警戒しながら尋ねた。バーテンダーはにこりと笑うと、「ここは地下都市に存在している、小さくてしがないバーですよ」と答えた。
彼は二十代後半くらいで、服装は白のシャツに黒いカマーベスト。ボウタイはポインテッドで中心に琥珀のカメオが輝いている。女性の横顔の彫刻は風になびいている髪がリアルだ。
一見すると女物みたい。女性のアクセサリーや服をファッションに取り入れる人がいるけど、そういうタイプの人なのかも。おしゃれ上級者と同じように、この人も特に不自然さは感じさせなかった。
髪型は黒髪のオールバック。顔立ちはよく見かけるアジア顔で、少し彫りが深い。でも日本人ではないのかも知れない。瞳が薄く金色がかっている。こういうの、アンバーって言うんだったかな。
身長もかなり高い。百八十センチ以上は確実にありそう。
私はばれないようにじろじろとバーテンダーを見てから、低声で話しかけた。
「あの、私、気がついたらここにいたんです」
記憶を辿ってみたけど、まったくなにも思い出せなかった。自分の名前も、顔も思い出せない。暗い穴の中を覗き込んでるみたいに、真っ暗で空洞な感じがする。
「……酔ってるのかな?」
私は独りごちながら、さっきまで自分が立っていたドアを一瞥した。ドアは木製で、鮮やかなグリーン。上の方はアーチ型になっている。その中心に銀色のベルがぶら下がっていた。
さっきの音はあれだったのね。
私はベルから視線を逸らすと、「でも、どこの誰かも分からないなんて……ただの酔いじゃないわよね」
自分に問いかけるふりをして、バーテンダーに聞こえるように呟いた。頭の隅々まで思考をめぐらせても何も思い出せないなんて……。不安が渦を巻く。ちらりとバーテンダーを見ると、彼は優しげに微笑んだ。私は少しだけほっとして息を漏らす。
「大丈夫。すぐに思い出します。ここは、そういう場所ですから」
「どういうことですか?」
私は怪訝に首を傾げた。
「ここは、迷えるものが集う店なのです」
バーテンダーは妖しい笑みを浮かべた。どことなく不気味な笑みで、少しだけ不安が過る。
「どういう意味ですか?」
私の問いにバーテンダーは答えなかった。その代わりにカウンターの裏から、ガラスの小皿に入った二粒のチョコを取り出した。
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