Frau des Mordes

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「このカクテルはミスティと言います。ジャズの名曲から生まれたのですが、きっとお客さまの〝過去〟とシンクロすることでしょう」 「……過去?」  貴方、私のこと知ってるの? びっくりしてそう訊こうとしたとき、グリムはにこりと微笑んだ。 「どうぞ。ご試飲下さい」 「……」  私は不審に思いながらも、ミスティに口をつけた。ほろ苦さと流れ落ちていくような甘さの中に、微かなハーブの香りが広がる。その途端、まるで何かがじんわりと染み渡る感覚に襲われた。  水面に落ちた雫が、広く浅く広がっていく。それはまさしく、甘く切ない恋の余韻そのもの。 「……思い出した。私、ある人に恋をしてたんだ」 「どなただったか思い出されました?」  グリムは含むように頬を持ち上げた。  私は小さく頷く。 「はい。男性が……。それに、もう二人浮かんできました。二人とも女性で、一人は地味で、眼鏡をかけていて暗そうな……私が嫌いなタイプね。もう一人は……多分、私……だと思います」 「多分ですか?」  グリムは疑り深そうに訊いた。 「ええ。だって、三人とも顔が判らなかったんです」  私は答えながら、ミスティに口をつけた。だけど、今度は香りが広がるばかりで何も思い浮かんでこなかった。  私は嘆息しながら続きを話した。 「顔が皆、塗りつぶされたみたいに黒かったんです。姿形ははっきりしてたのに」  男性は茶髪で、顎まである髪の毛先を遊ばせている。ブイネックの白シャツに、黒いジャケット。タイトなジーンズ。いかにも軽そう。だけど、きっと私はこの人のことが好きだったんだ。  だってミスティを飲んだとき誰かのことを好きで、好きすぎて、自分を見失うほど愛してたって想ったんだもの。  それは、その人を失ったら自分もこの世からいなくなってしまうくらい強烈な感情だった。  道ならぬ恋だったような気がする。  好きって気持ちを胸に秘めてたような、そんな苦しい想いが巡った。    だけど、同時にその人のそばにいられて、とても幸せで、泣きたくなるくらいに切ない。そんな想いも駆け上がってきた。  だからきっと、私はこの男性のことが好きだったんだ。 「姿形しか判らないのでしたら、どうして貴女だと判ったのです?」
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