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「あ、ごめん。急用を思い出したから、ここまででいい? 後は自分たちでやってもらえるかな?」
俺は必死にメモを取っている彼らを前にしてチョークを走らせるのをやめた。突然面倒になったのだ。けれど俺がこうして嘘をついたところで誰も疑いやしない。
「そうなんだ、ごめんね。後は自分たちでやっておくよ」
「すっげえ分かりやすかった。先生より授業するのうまいな」
一度は了解したことを途中で放棄し、さらにはまだ解いていない問題も複数残っているというのに誰一人責めることなく感謝を述べる。そうだ、ここまできたんじゃあないか。
先週だって課題をする気になれなくてサボった次の日に「解いたのに忘れました」と先生に嘘をついてもあっさり許された。「忘れたんじゃあなくて、解いてこなかっただけだろう」と疑いの目を向けられた生徒もいる中、「早坂は解いていて忘れたのだろうし、今日くらい問題ないよ」とそう言われた。
作り上げてきた優等生というイメージで人を騙しても責められない。些細な可愛い嘘でも嘘にはなり得ないだなんて。だとすればこんなちっぽけな嘘じゃあ勿体ないだろう?
◇
「転校生を紹介します。古里(ふるさと)くんよ。ほら、自己紹介をして」
「 古里和(ふるさとやわら)です。よろしく」
担任に促され渋々行われた短い自己紹介は、いてもたってもいられないような、そんな感情を突き動かした。
二年生のこの時期に転校とはそれなりの理由があるわけで、それに進学校に編入してくるにはわりと学力が必要なのに彼は勉強ができるようには見えない。初っ端から怒られたであろう染められた髪の毛は少し遊ばせていて、鋭い視線には良い印象は持てるはずがない。名前が和(やわら)なのに、どこにその要素がある?
「ふはっ、」
彼は操作されてしまう側の人間だ。たったこれだけの時間で、俺は彼にたくさんの勝手なイメージを押しつけた。内面的なことは知らないけれど、外見的な要素でだいたいの人物像を把握した気になった。
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