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昭雄はバスには乗らず、彼女らを見送った。
右手で手を振って、笑顔をもらう。
ひどく気分が高揚してきて、着替えの為に家に帰り着いた時、昭雄は戦い終えた戦士の気分になっていた。
汗みずくで帰ってきた昭雄に驚きながらも、掃除機をかけ続ける妻に、切々とバス停での出来事を語る。
しかし、果たしてどこまで聞こえていたのか。
妻は「あらあら」とだけ返して、救急箱を持ってきた。
「筋を痛めてない? 湿布貼っといたらいいわ」
興奮している昭雄とは対照的に、ひどく淡白だ。
「すまんかったなあ」
手首や肘に湿布を貼ってもらいながら、正月に妻を笑ったことを思い出して詫びたら、妻は「あら」と顔をあげた。思わず身構えたが、責める色合いはない。
「私の時はお父さんが一緒にいてくれたけど、お父さんはねぇ。外だもの、そりゃ怖かったわよね」
と、昭雄の気持ちに寄り添うようなことを言う。
(ああ恐かった! 腰も抜けた!)
あれっと拍子抜けしながらも、素直にうんとは言えず押し黙った昭雄の心境を知ってか知らずにか、妻はパタンと救急箱の蓋を閉じて、にっこり笑った。
「その勇敢なお嬢さんには何かお礼を考えないと」
娘に相談してみようかしら、と立ち上がる。
昭雄は湿布くさい手をわきわきさせて、妻の後ろ姿を眺めた。
ー なんだろうか、この敗北感は。
あの女子高生は素手でウィルスにつかみかかったようなものだし、妻は「あら」の一言で昭雄の昂った心を鎮める。
昭雄はごし、と掌で顔をこすった。
正月に妻を笑った自分をちょっと恥ずかしく思いながら、昭雄は妻の背を追いかけた。
「おい、母さん。替えのワイシャツ・・・」
ー Fin -
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