第一章 理想の人

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わたしは震える手でそっと本を閉じると、もとにあった場所にきっちりと戻した。 大きく深呼吸をする。大丈夫、大丈夫。 わたしはこの本の存在を知らなかった。だから何も読んではいない。 仕事で遅く帰ってくる郁生は、揚げ物が最新家電のノンフライヤーで作られていることも、クリームたっぷりのケーキが、毎日のように子供はまだかと様子を伺いにくる義母への口に入っていることも知らない。 それに夫婦生活がほとんどないから郁生は気づかない。ウオーキングの途中で時おり合流する、雑誌のモデルをしているという美しい彼のアドバイスで始めたダイエットが少しずつだけど成功していることを。 そして義母が最近、高血圧脂肪症で医者通いしていることも、郁生は知らない。知らせない方がいいことは世の中にあふれている。 愛という武器は強い。それが凶器であることに気づかないからだ。 いつのまにかお天気コーナーへと番組が変わっていた。長期予報で、今年は台風が多いでしょう、と気象予報士が告げていた。
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