第一章 理想の人

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「いつもぼくのために、こんな遅くまで食べないで待ってくれてありがとう」  食事前の小さな癖。手を合わせ親指と人刺し指の窪みに箸を載せて、軽くおじぎをする。食事のたびに感謝を表す郁生らしい、いい癖だと思った。 「いいのよ。わたしの仕事は在宅だし、せっかくなら二人で食べた方がおいしいもの」 とはいったものの、正直のところ夜の10時すぎに揚げ物や肉はキツイ。本当はもっとあっさりしたものを食べたいが、郁生の朝はパンとコーヒー。昼は立ち食いのうどんやそばだから、夜くらいガツンとボリュームがあるものを食べたいという。 だから体によくないと思いながら、眠る数時間前なのに皿を並べてしまう。 「どうしたの、食欲ないの?」  今夜の郁生は、大好きなエビフライを前に箸の進みが遅い。 「ああ、ごめんね。今日は会議が長引いたからお弁当が出たんだ。それが注文を入れたのが課の若いヤツでね。学生が食べて丁度いいようなこってりとした弁当だったので、まだ胃が重たくて」 おれも年だなと笑いながら、満腹のときのように胃の辺りをさすっている。 「じゃあ、残ったのは、わたしが明日の昼に食べるわ」 ラップをかけようとする手を、郁生が制した。 「あのね、揚げ物はその日のうちに食べた方がいい。油が一晩のうちに酸化して、過酸化脂質って悪い物質になって体を錆びさせてしまうそうだよ。そうしたらきみの体の老化がすすんでしまう」 理系の郁生の言葉は説得力がある。演繹法できっちりと論理的にたたまれると、わたしは他の選択技は存在しなかったような気持ちになり、郁生の考えを受けいれてしまう。 「じゃあ、今晩中に食べた方がいいのね……。でも……また太りそう」 眠る3時間以内に、こんな消化の悪い高カロリーの物を食べたら太ってしまう。けれど、明日になればこれば体を錆びさせてしまう悪い食べ物になってしまうという。太った体はダイエットできる……かな、かもしれない。けれど酸化して老化した体を戻すのは無理な気がする。 捨てるという選択はなかった。手間をかけて作ったし、第一おいしい。 わたしの中のためらいを見透かしたのか、郁生はわたしのお腹を愛おしそうに丸く円を描くように撫でた。
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