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正式な『初めて夜』の、極度の緊張感を今でも覚えている。
はっきりと。
土曜の夜。腹の上でくつろぐ長毛種の背を撫でながら、世界の絶景を巡る番組を何の気なしに流していた。
早い時間に仕事を上がれたのは良いが、案外退屈なもので。
先に風呂に浸かり早々に夕飯を終えてしまうと、この健全な時間帯に頭は既に恋人のことでいっぱいになった。
「こりゃあ今日も無いな……ノアさん」
呼ばれた猫はひとつ大きな欠伸を残してフローリングへ降り、手元が物足りなくなった高之は代わりにクッションを抱えた。
構えずにキスをさせてくれるようになってから、幾度かチャンスはあったのだ。
らしくもなく怖気付く自分と、どこか警戒心の高まってゆく朝陽の表情に、均衡を保ちながらも距離を縮めることの難しさを覚えていた。
身体を触るだけで終えた夜と、惜しくも中断した夜。
幼馴染みとは言え、いつの頃からか裸同然のような遊び方はしなくなった。
遠い記憶を最後に、再び目の当たりにした朝陽の身体は均整が取れていて、当然ながら胸は無いし、自分と同じものが付いていたけれど。
欲情した、明らかに。
ふいに、テーブルに置いたスマホが振動した。
着信画面には『朝陽』の表示。
受話の文字を押すまでに数秒も掛からなかった。
「もしもし?」
『え、あ……びっくりした。こんな早く出るとは思わなかったから』
受話口で笑う朝陽の顔が浮かぶ。長年見てきた幼馴染みが恋人になり、ふたりの間の空気が変わった。“どのように”とは明確ではないけれど。
『今日、これから行っても良い?』
「これから?」
『夕飯食べて風呂入ってから』
「ああ、見たがってたラッコのドキュメンタリーの録画か」
朝陽の好きな動物ドキュメンタリーの番組は、先手を打って全て録画してある。
家に呼ぶための口実のつもりだったが、いつの間にかハマって一緒に見るようになり、番組表のチェックまでが日課になった。
『いや……泊まろうかなと……思って』
──心臓が強く跳ねた。
「わかった、待ってる」
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