lesson3ー4 全てを掛けて

6/55

2249人が本棚に入れています
本棚に追加
/466ページ
思ってたより、早く着いちゃった。 会社に着いて、真っ直ぐ部署には向かわず、一階のラウンジに行き、鞄から便箋と封筒を取り出す。 まさか…退職願を会社で書くなんてね…… そんなことするの、私ぐらいかも。 時間がなければ、昼休憩にでも書こうと思っていたけれど、出せるのなら早い方がいい。 退職願を書き終わり、ふと顔を上げた先に…… …あ…… いつも遠くから私を見守っていた人物と、視線が交差する。 数秒して逸らされた視線に、弾かれたように荷物を慌ててしまい、席を立つ。 一階のエントランスを抜け、奥の通路に向かう背中を追い掛け、声を掛ける。 「待って!」 それでも歩みを止めてくれず、再度呼び止める。 「待って、お母さんっ!」 そう言ってやっと止まってくれた……母の前に立つ。 口元を押さえて、涙を流していた母。 「…ずっと…見守っていてくれたでしょう?…気付いていたけど、目が合うと隠れてしまうから、今まで声を掛けなかった……お母さんは、それを望んでいないと思っていたから…だけど、掛ければ良かったって、今なら思う」 鞄からハンカチを取り出し、母に渡す。 母がハンカチを受け取り、 「…これ…」 「お母さんが置いていった服で、作らせて貰ったの」 ハンカチを両手で握り締める、母の涙は止まらない。 「お母さん…もう、自分を責めないで…私も、お父さんも…お母さんを責めたことなんか一度もないから…もう、自分を許してあげて……それから、ずっと見ていてくれてありがとう!」 「…ありがとうなんて……私はただ…悠香を見ていたかっただけ……母親らしいことなんて……何ひとつしてあげられなかったものっ!」 寂しさを感じることはあっても、記憶に残っていたお母さんが、私は大好きだった。 「…あのね…私、会社辞めるの」 後で、都築くんから聴くかもしれないけど……こうして会えたのだから、自分の口で伝えようと思った。 「…辞め…る?」 驚いたのか、涙が止まる母。 「結婚…するの…まだ、お父さんには話をしてないけど……お母さん…あのね……」 環生のことを、今時点で私が知りうることを母に話した。 「…余命…宣告……?」 「うん……それでも、彼が好きだから、彼の傍にいる為に…結婚したいって思ってる……許して…くれる?」 母が私の顔を真っ直ぐ見つめる。
/466ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2249人が本棚に入れています
本棚に追加