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思ってたより、早く着いちゃった。
会社に着いて、真っ直ぐ部署には向かわず、一階のラウンジに行き、鞄から便箋と封筒を取り出す。
まさか…退職願を会社で書くなんてね……
そんなことするの、私ぐらいかも。
時間がなければ、昼休憩にでも書こうと思っていたけれど、出せるのなら早い方がいい。
退職願を書き終わり、ふと顔を上げた先に……
…あ……
いつも遠くから私を見守っていた人物と、視線が交差する。
数秒して逸らされた視線に、弾かれたように荷物を慌ててしまい、席を立つ。
一階のエントランスを抜け、奥の通路に向かう背中を追い掛け、声を掛ける。
「待って!」
それでも歩みを止めてくれず、再度呼び止める。
「待って、お母さんっ!」
そう言ってやっと止まってくれた……母の前に立つ。
口元を押さえて、涙を流していた母。
「…ずっと…見守っていてくれたでしょう?…気付いていたけど、目が合うと隠れてしまうから、今まで声を掛けなかった……お母さんは、それを望んでいないと思っていたから…だけど、掛ければ良かったって、今なら思う」
鞄からハンカチを取り出し、母に渡す。
母がハンカチを受け取り、
「…これ…」
「お母さんが置いていった服で、作らせて貰ったの」
ハンカチを両手で握り締める、母の涙は止まらない。
「お母さん…もう、自分を責めないで…私も、お父さんも…お母さんを責めたことなんか一度もないから…もう、自分を許してあげて……それから、ずっと見ていてくれてありがとう!」
「…ありがとうなんて……私はただ…悠香を見ていたかっただけ……母親らしいことなんて……何ひとつしてあげられなかったものっ!」
寂しさを感じることはあっても、記憶に残っていたお母さんが、私は大好きだった。
「…あのね…私、会社辞めるの」
後で、都築くんから聴くかもしれないけど……こうして会えたのだから、自分の口で伝えようと思った。
「…辞め…る?」
驚いたのか、涙が止まる母。
「結婚…するの…まだ、お父さんには話をしてないけど……お母さん…あのね……」
環生のことを、今時点で私が知りうることを母に話した。
「…余命…宣告……?」
「うん……それでも、彼が好きだから、彼の傍にいる為に…結婚したいって思ってる……許して…くれる?」
母が私の顔を真っ直ぐ見つめる。
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