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商業施設の、関係者専用の駐車場に停めてあるボックス車に、有柚深空は乗り込んだ。
運転席の付き人・野田(のだ)は、深空がシートベルトをつけたのを確認すると、
「時間押しちゃったから次の収録現場まで直行よ」
返事が無いので、野田はエンジンをかける前に振り返った。
深空は肘をついて、スモークガラスをぼんやりと見つめている。
「……野田さん」
愛らしい顔立ちに、憂いの色が帯びる。
「私ね、本当は、今日があの人の誕生日だって知らなかったんだよ」
「そりゃそうでしょ」
『ゆずみくのファン』が何人いると。誕生日どころか、名前も顔すら曖昧なことが多かった。
それは咎められるようなことではない。
「何回も来てくれた人だからぼんやり覚えていて、そう言ってたような気がして……もし間違えたら、笑ってごまかせばいーやって」
ふいに、深空の声がか細く震える。
「あんなに喜んでもらえるなんて、思ってもみなかった……!」
胸が軋んだ。改めて自身の言動に、大きな影響力があることを深空は思い知った。
業界人としての歴史は長く、間違いなくエンターテイメントのプロだが、まだ十八歳でしかない深空の心の揺れを、野田は同調するように言った。
「仕方ないわ。……きっとあっちも、その辺は織り込み済みでファンをやってくれてるわよ」
アイドルとファン。
そこには、決して見えない壁や溝がある。
時にその事実に苦しくなることはあるけれど、それでも両者とも、同じ夢を見ることを望んでいた。
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