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おばあさまたちから親愛と冷厳が聞こえたから。彼らは真実を隠す気がなかった。私は受け入れ、納得した。「私」もまたそういう生き物なのだ。
ただ、自分の命と引換にできるのが次の命ひとつだけなんてまったく生産性が無い。なんて効率の悪い生き物だろう。
私の生まれる少し前、大陸では大きな戦争があった。スカンは巻き添えは食らわずに済んだけれど火の粉が避けられたわけでもない。戦中の資源開発や戦後復興で工業が勢いづいても技術は足らず、農民の流出は留まらず、社民党はアンバランスな運営を迫られていた。ひとが減る。それはとりもなおさず《魔女》の減少に繋がる。
魔女に因らず人から産まれる魔女―――《野良》の子がどれだけ確保できるか。数を減らした今の私たちにはそこが重要な生死の境なのだ。私が探しているのはそういう『子』。
おばあさまたちは私を育てながら、性質に気がついた。「聞こえる」というのはこの辺りでは時折でる性質らしい。だから類型の先生に教育を託したのだ。
先生からは「リネーアは遠耳の子ね」と評された。先生とは逆に、私は『呼ばれる者』。いつもどこかから呼ばれてた。ボスニア湾の泡立つ細波か、白樺の森の妖精の手招きか。
先生の家は町から離れた森の縁にある。「森の中のほうが魔女っぽいけど、ここでも充分厭世観を演出できるでしょ」とウインクされた。
「演出」
「だって不便じゃない。森の中なんて日も射さなくなっちゃうわ、洗濯物が乾かないでしょ。それでなくとも太陽は貴重なのに」
森を拓いてスペースを作ってもどうせ冬は雪に埋もれてしまうんだから、少しでも動きやすい方がいいわとコロコロ笑う。先生は本気だったので私も笑った。農家の夏小屋と違い、通年暮らすのだ。魔法を使わなくても済むくらい便利な方がいいに決まってる。ひとは誤解しているけれど、魔力というのは無尽蔵では無い。使えば相応に疲れる。
家には先生の《僕》もいた。支部にはたくさんの僕がいたけど、ここには3人、ウルリクとモルテン、パウラ。モルテンとウルリクが交代で町を訪ね、依頼の選定や買い物をしてきた。
依頼は町の人が先生に頼みたいことだ。単純なものでは失せ物探し、徴兵される息子への御守り、結婚のお祝い、大がかりなのは天候の操作、面倒なのは近隣町村との折衝―――政治的な。
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