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◆◇◆◇
夕陽を見るといつも最悪な記憶が蘇って、頭の中が真っ白になる。
あれは、つれあいが一人目の子を出産した直後のこと。
彼女は生死の境を彷徨っていた。
出産は長時間に及ぶ難産で、胎の子に、早く彼女を苦痛から解放してやってくれないか、と心の底から願ったものだ。
だから、やっと産まれたこどもが産声を上げた時、私は我が子の誕生よりも、彼女が産みの苦しみから漸く解放されたことに安堵した。
――お疲れ様。よく頑張りましたね。ありがとう。
労いの言葉を掛けようと、それまでも握っていた彼女の手を強く握り直したところで、異変に気付く。
いつもあたたかな彼女の手が、まるで氷のように冷たかった。
母のぬくもりを求めて泣きじゃくるこども。
急に慌ただしくなる医師と看護士達。
ビリビリと肌に伝わる緊迫感。
彼女の青白い顔。
分娩台に滴る赤。
あの時の彼女の手の冷やかさを、私はどうしても忘れられない。
――愛しいひとを失いたくない。
ゆづるさん、お願いです。まだ、私を置いていかないで。
彼女の身に突如として差した死の影に、血の気が引いた。
動揺して、凍りついたように動けなくなった私の腕を手術着姿の誰かが引き、何やら声を掛けてくる。
焦れたように背中を押され、とうとう分娩室から追い出された。……私は、彼女の傍にいたかったのに。
分娩室の外の世界は夕焼けで真っ赤に染まっていて、その中で私はひとり、彼女がいなくなるかもしれない不安に怯えていた。
――できることならば、私の命をあなたに分けて差し上げたい。
集中治療室にて、眠り続ける彼女の手を取り、命が消えてしまわないように強く、堅く、手を繋ぎ、ただ只管祈り、彼女を呼び続ける。
――私の、なによりも大切なひと。
これからは、今まで以上にあなたを全身全霊を以って全力で護ります。だから、お願いです。どうか、どうかもう一度、目を覚ましてください。
その願いは叶った。
彼女が私と生まれてきたこどもに会う為に、生と死の境から必死になって戻ってきてくれたから。
けれども、大円団というわけにもいかない。
この世の理として、願いを叶えるには、どうしても代価が必要だ。
今回の願いが叶うにあたり、代価(或いは代償)の内容と支払者を決めたのは、一体全体、どいつなのだろうな。
神か? それとも運命か?
いずれにしてもそいつは、実に不愉快なことに、彼女――そして、捉えようによっては私も――に、願いの代価を名目に、不条理な目に遭わせたいのだろう。
長い眠りから目覚めた彼女は、次のこどもを望むにはあまりにも危うい体となっていた。
出産に堪えられる体――それが、今回の願いの代価だ。
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