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心の中で神にお礼を言おうとした瞬間、後ろに動くものを感じた。
私は生きることに必死で、目の前のことしか見えていなかったのだ。
シカを貴重なタンパク源と捉えていたのは私だけではない。
怯えからか空腹からなのか、私は地面にひざをついたまま、動くことができなかった。
四足歩行の大きな体がゆっくりとこちらへ近づいてくる。
トラだと一目でわかったが、わかったところでなにもできなかった。
ライフルの弾はすべて使い切った。他に武器になるようなものはない。走って逃げるほどの体力もなかった。
トラはもうすぐそこまで来ている。いつ跳びかかられてもおかしくはない。
私は目をつぶって空を見上げ、図々しくも再び神に祈った。
「さっきのがひと月分のお願いなら、今度のは一生のお願いだ。いや、お願いします」
少しでも神様の機嫌を損ねないように、できるだけ敬語でお願いをしてみる。
心の中の敬語をさえぎるように、トラがうなるように吠えた。
ああ、終わりだ。
そう思った瞬間、急に目の前が明るくなった。
何事かと目を開けてみると、空が明るく光っている。
まるで昼間のようなその明るさにおののいたのか、トラが森の中へと走り去っていった。
空はまだ明るく光ったままだったが、よく見ると光の中心に銀色の球体が見えた。
私にはそれが宇宙船であることはすぐにわかったし、未知との遭遇ではないことも薄々感づいていた。
空中で停止したままの宇宙船から、聞き覚えのある声が聞こえたからだ。
「たかし!早く出てきなさい!」
その声は明らかに子供の頃から聞きなれた母親の声だった。
「いつまでもこんなところに引きこもってないで、外に出てらっしゃい!」
私は深く息を吸い、ありったけの力を振り絞って叫んだ。
「うっせえなくそババア!ほっといてくれよ!」
地球がもはや人の住めるような星ではないことは理解していた。地球に住んでいる人間がごくわずかであることも。
火星や金星に移住すれば、家族は喜ぶだろう。でもね母さん、俺、人が怖いんだ。
私たちのように地球に残った若者は「引きこもり」と呼ばれ、社会問題として扱われている。
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