引きこもり

3/3
前へ
/3ページ
次へ
心の中で神にお礼を言おうとした瞬間、後ろに動くものを感じた。 私は生きることに必死で、目の前のことしか見えていなかったのだ。 シカを貴重なタンパク源と捉えていたのは私だけではない。 怯えからか空腹からなのか、私は地面にひざをついたまま、動くことができなかった。 四足歩行の大きな体がゆっくりとこちらへ近づいてくる。 トラだと一目でわかったが、わかったところでなにもできなかった。 ライフルの弾はすべて使い切った。他に武器になるようなものはない。走って逃げるほどの体力もなかった。 トラはもうすぐそこまで来ている。いつ跳びかかられてもおかしくはない。 私は目をつぶって空を見上げ、図々しくも再び神に祈った。 「さっきのがひと月分のお願いなら、今度のは一生のお願いだ。いや、お願いします」 少しでも神様の機嫌を損ねないように、できるだけ敬語でお願いをしてみる。 心の中の敬語をさえぎるように、トラがうなるように吠えた。 ああ、終わりだ。 そう思った瞬間、急に目の前が明るくなった。 何事かと目を開けてみると、空が明るく光っている。 まるで昼間のようなその明るさにおののいたのか、トラが森の中へと走り去っていった。 空はまだ明るく光ったままだったが、よく見ると光の中心に銀色の球体が見えた。 私にはそれが宇宙船であることはすぐにわかったし、未知との遭遇ではないことも薄々感づいていた。 空中で停止したままの宇宙船から、聞き覚えのある声が聞こえたからだ。 「たかし!早く出てきなさい!」 その声は明らかに子供の頃から聞きなれた母親の声だった。 「いつまでもこんなところに引きこもってないで、外に出てらっしゃい!」 私は深く息を吸い、ありったけの力を振り絞って叫んだ。 「うっせえなくそババア!ほっといてくれよ!」 地球がもはや人の住めるような星ではないことは理解していた。地球に住んでいる人間がごくわずかであることも。 火星や金星に移住すれば、家族は喜ぶだろう。でもね母さん、俺、人が怖いんだ。 私たちのように地球に残った若者は「引きこもり」と呼ばれ、社会問題として扱われている。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加