そのとき、強い力で腕を引っ張られた。そのまま前のめりになって転びそうだったけれど、腕はしっかりと支えられている。
次の瞬間、角材が階段の手すりにでも当たったのか、甲高い音が聞こえてきた。
そして、静寂。
おそるおそる目を開けると、茶色い砂ぼこりが舞う中、黒い学生服に包まれた背中があった。
「谷崎くん!」
もう行ってしまったとばかり思っていた。急いで階段をかけ上がって来てくれたのか、肩で息をしている。
「くそ、何だよここ。整理しなさすぎだろ」
谷崎くんは呼吸を落ち着かせると私の腕から手を離し、独り言のようにぼやいた。
かばってくれたんだ。驚きのあまり停止していた思考が働きだし、ようやく状況がわかってきた。
「あ、あの、ありが……とう」
まだ心臓がドキドキとうるさく鳴っている。私はやっとのことで、お礼の言葉を伝えた。
「…………」
やっぱり、谷崎くんの返事はない。いつもの素っ気ない態度だ。
だけど、わざわざ戻ってきて、私を助けてくれた。
返事をする代わりに、谷崎くんは大きく腕を回して体をほぐしていた。左腕の次は、右腕を回す……と、彼の動きが急に止まった。
谷崎くんは、しばらく右手を確かめるように触っていたけれど、やがて何事もなかったように手をポケットに入れようとする。
なんだか、おかしい。私はあわてて彼の手を取り、ポケットに入るのを阻止した。
「な……」
「手を見せて」
谷崎くんの抵抗するような声は聞かなかったことにして、私は彼の制服の袖をそっとめくり上げた。
「あ……」
思わず声が漏れた。谷崎くんの右手首には大きな擦り傷ができていた。かなり出血していて、シャツの袖口が赤く染まっている。
さっき私を助けてくれたとき、けがをしてしまったんだ。大変だ。
「は、は、早く保健室行かなきゃ」
私は動揺を隠すこともできない声で、谷崎くんのけがをしていないほうの手を引っ張った。
しかし谷崎くんは私のパニック状態などどこ吹く風といった態度で、
「いいって、めんどくさい」
などと言っている。
「だ、だめだよ! すぐに傷の手当てをしないと大変だし痛くなっちゃうし、大体、こんな状態の手をポケットに入れようとするなんてもっと痛くなるからだめ!」
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