コーヒーの魔力

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先生が連れて来たのは、社会科の資料室だった。 私はまだ入ったことのない部屋だった。 「ハイ、どうぞ。」 先生はドアノブを回して開くと、ドアマンのように私を中へと促した。 部屋の中に一歩足を踏み入れると、ふわりとコーヒーの香りに包まれた。 先生は古びた椅子を私に勧めると、本棚の奥へと消えて行ってしまった。 残された私は興味津々で辺りを見渡す。 こじんまりとした教室の壁は本棚で覆われていて、地球儀や地図、大きな本など、所狭しと物が収められていた。 長机の上には先生の飲みかけのコーヒーカップと、大量の書類が散乱していた。 カチャカチャという食器の音と、掛け時計の秒針の音が静かな室内に響く。 あまりにも静かで、でも不思議と居心地のいい室内は、教室や部活の喧騒からは隔絶された空間のようだった。 「はい、コーヒーしかないけど。」 先生がコーヒーマグを持ってきてくれた。 ありがとうございます、と受け取ったマグからは、コーヒーとミルクの匂いが立ち昇っていた。 猫舌なので口をつけずにフーフーと息を吹きかけていると、先生はくすりと笑って、自分は何処からかもって来たパイプイスに座った。 「まぁ、だいたい聞こえてたけど… なんかあったか、って聞いてほしい?」 私は黙って首を横に振った。 思い出すだけで、はらわたが煮えくりかえりそうだ。 了解、と苦笑した先生を横目に、前もこんなことがあったな、と考えていた。 先生はいつもタイミングが悪い。 私が1番めんどくさい状態になっている時に現れる。 いつもならもっと上手に立ち回れるのに、先生の前だと途端に不器用になってしまう気がする。 そろそろとカップに口をつけると、角の取れた程よい苦味が口いっぱいに広がってホッとした。 「コーヒーはいけるんか。 たしか、甘いのは苦手やったよな。」 私はぶんぶんと、首を今度は縦に振った。 そんな些細なことを覚えていてくれていた先生に、嬉しいを通り越して感動すら覚えていた。
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