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樋口に連れてこられた店は料理も内装も思ったより豪華で、薫子は今一つ落ち着けなかった。
ずっと辺りをきょろきょろとしている薫子を見ると、樋口が苦笑いする。
「すみません。一度こういった店に来てみたかったんです」
「彼女とデートした時に、連れて来ないわけ?」
「彼女なんかいませんって。そういう赤坂先輩はどうなんです、彼氏と」
薫子が俯くと、樋口は何かを察したようで気まずそうにあやまった。
「あ、すみません…」
「いいのよ。しょうがないわ」
その後の話題に恋愛事が出てくることはなかった。
薫子が暗くならないように樋口も気遣っているのだろう。
帰り道、まだ冷たい風が吹く中、樋口は薫子を自宅前まで送っる。
「いいっていったのに…」
「よくありません。真っ暗な道に変質者がいたらどうすんですか」
心配してくれているのがわかり、薫子は嬉しくなった。
「ありがとう。もうここでいいわ。私の家、あれだから」
「はい……」
「じゃ、また明日。ありがとう、今日は楽しかった」
そういって背を向け、歩き出そうとすると、ふいに腕を捕まれる。
夜風で冷えた体が、樋口の体温を感じる。
抱きしめられていることに気づくまで、暫くかかった。
「……何、どしたの?」
「俺じゃ駄目ですか……」
「樋口くん…?」
「そんなに彼氏がいいんですか」
がしっと肩を掴まれ、真剣な瞳で覗き込まれる。
「どう…したの…?」
「先輩が悩んでたの彼氏のせいでしょう。何でそんな悩ませるような男切らないんだよ、何で俺じゃないんだよ」
「樋口くん、聞い――」
「俺だって、先輩のことが好きだ。俺じゃ…駄目なのか」
それだけを告げると、樋口は駆け去った。
「ちょっ…樋口くん?!」
名前を呼んでも樋口はすぐに闇に紛れ、姿が見えなくなった。
「今の…」
後には抱きしめられた身体の体温だけが残った。
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