阿部因子

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阿部因子

 一年前、出来が悪いことはわかっているのに刷ってしまった同人誌を、売れないことはわかっているのに大阪まで持っていったときのことだ。一泊二日のうち半分くらい、大阪在住の年上の友人につきあってもらっていた。居酒屋でも喫茶店でも、わたしたちは生きるのがしんどい話ばかりしていた気がする。わたしは小説が書けないとか、仕事で毎日同じ時間に同じ場所に行くのがつらいとか言っていた。自分より仕事ができない人を見るとイライラするけど安心するとか。吐き出したことのほとんどは覚えていないけれど、「職場で、上司に褒められても嬉しい顔をしたくないんですよね」と言ったことは妙に覚えている。友人は言った。「なんで?」なんでだろう。同人誌は売れなかった。  褒められて、嬉しい顔をしたくない。怒られて悲しい顔もしたくない。  その友人は高校のときからカウンセリングに通って箱庭セラピーをやっているという話をした。「やってみたら」と勧められた。以前から興味はあった。自分のことが知りたかったし。日々定まらない自分のアイデンティティの置き場所を、どこかに定めたかったし。だから人は心理テストをやったり、「腕を組んだときに右腕が上に来る人はこういう人」みたいなやつに食いついたりするのだし。  東京に帰ってきてさっそく「都内 箱庭」で検索をかけた。いくつかできそうなところが見つかったけれど、なんとなく「自分がわかりませ~ん」で行けるような雰囲気ではなかった。基本的にきちんとカウンセリングだか診察だかを受けて、必要だと判断されれば組み込まれる、というシステムのようだ。勧めてくれた友人は、学校に行けなくなったからカウンセリングに通い始めたらしい。わたしは会社にも、ときどきズル休みしつつも行っているし、十代の頃は手首をカジュアルに切るリストカッターだったけど、成人してから喫煙にとってかわり、その煙草もそんなに吸うわけでもない(二〇一七年四月現在、半年禁煙継続中)。整理してみれば、いま、特に問題があるようには思えないのに、病院はハードルが高すぎる。
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