忘れる人々。忘れられない私。

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病室のベッドで考えていたことは サチを妊娠したと知った途端、逃げ出した もう名前も思い出したくもない、あいつのことと 犯人への復讐心。 ネットニュースのコメント欄には 犯人を極刑にせよという文言が並んでおり アジアで幼女を買うことを趣味としていた 60代の小学校の校長が逮捕された時、私は決意した。 無期か死刑であろうと弁護士に言われたが だらだらと何年も続く裁判を待ち、刑が執行されるまで、 私は待てない。 私の手で、あいつを裁く。 数少ない友人も、事件の後に紹介された 犯罪被害者の会で知り合った人々も 私に同情しつつ、復讐してもサチは帰ってこないし 犯人を殺しても自分が傷つくだけだと説得してきたが、 私の決意は揺るがなかった。 一番鋭い包丁を研ぎ、人を刺し殺すのに最適な部位を ネット検索して調べ、 犯人に接触できる方法を、あれこれと模索した。 ところが、私の復讐は 物理的に成し遂げられなくなってしまった。 拘置所にいた犯人が、心臓発作で死んでしまったのだ。 原因は勃起改善薬らしい。 振り上げたこぶしを叩きつける先を見失った私は 生きる目標をも見失ってしまった。 ネット民は犯人ざまあみろといった感じで これで死んだ子も浮かばれる。母親の無念も晴らされると ひと月もしないうちに新しい事件のほうに関心を移した。 3年の月日が流れて、職場に復帰することが できるようになったけれど、 この悲しみと怒りは生涯消えないだろう。 私を正気でいさせてくれるのは、 愛しいサチとの、短い思い出。 「サチ。お誕生日、おめでとう。これからもずっと、側にいてね」 ロウソクを吹き消し、暗くなった部屋で 今日もまた一人、私は泣いた。
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