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だいたい、アラブ女性って一人で出歩いていいんだっけ、男と話もしちゃいけないとか、と安道は首をひねった。国によっては車も運転させてもらえないというし、でもそういえば、サウジアラビアの国王が来日してるんだったっけ……?
安道はあたりをキョロキョロと見回し、いったん社内に引き返した。そして、片手に淡いグリーンの折りたたみ傘をもつと、横断歩道を渡った。
「英語は話されますか」
話しかけられた女性は目を細め、無言で安道を見返した。
「そこでは濡れます。この傘を使って下さい」
女性は綺麗な英語で答えた。
「人を待っているだけです。傘はいただけません」
「会社に来られたお客様にお貸ししているものなので、お気になさらず。返してくださらなくても、書いてある連絡先へ返してくださっても、どちらでも結構です」
「雨がひどくなるようなら、車を呼びますから、大丈夫です」
すると安道は、名刺入れから一枚、カードを取り出して、
「それでしたら、こちらのタクシー会社に英語の堪能な者がおります。万が一、お迎えの車が来ないようなことがあっても、傘につけてある会社名を言えば、お泊まりのところまで安全に連れて行ってくれるはずです。この番号はトールフリーです」
カードと傘を渡すと、安道は一礼して自分の傘をさしなおし、その場を離れた。
「あー、怖い怖い怖い……」
そう呟きながら、ひどくなる雨の中を、足早に歩き続けた。
2.
夕食とシャワーを簡単にすませたところで、インターフォンが鳴った。
「アンドー。入ってもいいか」
週末でもないのにマリクが訪ねてきたので、安道は一瞬、身を震わせた。
「どうしたの、マリク」
「春の雨というのは、いいものだときいたのだが、なんだか落ち着かなくて」
「実は僕もそんな気分なんだ。うすら寒いしね。早く入りなよ」
「すまない」
入ってきたマリクは、安道の顔を見るなり、
「もう寝るところだったか?」
「そういうわけじゃないけど……何か飲む? コーヒーでいい?」
「いや。私が欲しいのは、アンドーだけだ」
「あ」
抱きすくめられて、安道はため息をついた。
「だめだよ、マリク。ちゃんとドアに鍵をかけてから、ね」
(続きは文学フリマ発行「甘えていいよ」でご覧下さい)
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