忘れない。あの夜の願いを……

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 夜が来て、月が闇をてらす。  狂おしいような満月でした。昨夜、二人の信頼を誓いあった月よりも、さらに明るく、大きく、怖いくらいです。  わたしはもはや、なれたもの。庭木をのぼって、鉄柵を乗りこえ、屋敷に侵入しました。  お屋敷のなかに入るのは初めてではありません。  でも、いつも、決まった部屋にしか入れてもらえませんでした。玄関ホールに近い応接室だけ。  今夜はどうしたんでしょう?  わたしが勝手にドアをあけてホールに入っても、マヒロはやってきません。 「マヒロ……いないの?」  もう行ってしまったの?  以前、とつぜん、いなくなってしまった“伯爵さま”のように?  わたしは二階へ上がっていきました。  いつも、二階の窓のカーテンがゆれているから。  きっと、そこがマヒロの部屋なんだと思いました。  ホールのらせん階段は外国の映画に出てきそう。  花もようの手すりをつかみ、のぼっていきます。  それにしても、思っていたより、屋敷のなかは荒れていました。二階に行くと、ますます、ひどくなりました。壁紙なんて、はぐれてるし。ゆかに穴があいてるとこも。 (ウワサどおりのオバケ屋敷だ!)  人が住めるとは思えないほどの荒廃ぶりに、笑いたくなりました。  こんなところに、マヒロは住んでるの?  たった一人で?  マヒロの深い孤独が身にせまってきます。 (この部屋だ)  いつも、マヒロが外を見ている、窓のある部屋。  わたしはその部屋のドアノブに手をかけました。そっとひらくと、真正面に大きなガラス扉の窓が。  窓いっぱいに、大きな満月。  その月を背に、マヒロが立っています。窓枠に足をかけ、今にも、そこから飛びたってしまうかのようなそぶりで。 「マヒロ——!」  わたしはマヒロにすがりつきました。 「行くの?」 「ここには、もういられない」 「どうして?」  マヒロがミカさんを殺したから?  その言葉を飲みこみました。  でも、マヒロはわたしの考えを理解したようです。  何かの本で読んだことがあります。マヒロの種族は人間の心を読めると。  それとも、ただ単に、わたしの表情を見れば、誰にでもわかることだったのでしょうか? 「おれじゃないよ。信じて」  わたしは無意識にうなずきました。  マヒロが言うなら、信じます。  わたしたちは、どんなときにも信じあうと、月に誓ったから。  そのとき、階下から、誰かがかけあがってきました。  わたしたちの話し声を聞いて、部屋にとびこんできました。 「おまえが、ミカを殺したんだな!」  コウジさんです。  とびかかってくるコウジさんの腕を、マヒロは片手で押さえます。 「昨日、見てたね。おれとミカがいるとこ。でも、見たなら知ってるだろ? おれはミカとはすぐに別れた。一人で帰ってくミカのあとをつけてたじゃないか? おれね。目はいいんだよ」  コウジさんはだまりこみました。  マヒロは笑い、コウジさんの顔をのぞきこみます。  マヒロの目が月光を反射するように、青く光って見えました。 「おや、でも、そうか。君はミカが家のなかに入るのを見届けた。そのまま、夜明けまで、ミカの部屋を見守った。ミカは出てこなかった。君はあきらめて帰った」  わたしは不思議に思いました。 「新聞では、ミカさんは夜明け前に亡くなってたみたいって、書いてあったよ? それって……」  ミカさんはちゃんと自宅に帰った。  そのあと、家のなかで死亡した……ってこと? 「だから、こいつがやったんだよ! こいつは、だって、ヴァンパイアなんだろッ? 霧とかコウモリになって忍びこんだんだよ!」  わたしは断言しました。 「昨日の夜なら、わたし、夜が明けるまで、ずっと、マヒロといたよ。たとえば……マヒロがほんとにヴァンパイアだとしても。二つの離れた場所に同時にはいられない。でしょ?」  コウジさんはちょっと言葉につまりました。  すると、また背後から、べつの気配。 「だまされちゃいかん。その女はすでに吸血鬼に噛まれとる。吸血鬼の命令に、なんでも従う下僕にすぎん」  ミカさんのおじいさん。  森岡先生です。  でも、その目を見たとたん、わたしは怖くなりました。正気の目ではなかったからです。 「吸血鬼は退治しなけりゃならんのだ! その女も殺せ!」  さけぶと、いきなり、わたしに襲いかかってきました。  おどろきました。  森岡さんの手には、オノがにぎられています。 (そうか。この人だったんだ。ミカさんもマヒロに噛まれたと思って——)  悟ったときには、もう遅い。  わたしは、ぼうぜんと立ちつくしました。  自分の上にふりおろされる刃を見つめながら。  けれど——  何が起こったのか、今でもハッキリとはわかりません。  わたしの前に、サッと黒い影が走ってきました。  わたしを包みこんだような……?  次の瞬間、ものすごい悲鳴があがりました。  続いて、ドン——と、激しい衝撃音。  目をあけると、森岡さんがいなくなっていました。  窓があいています。  下をのぞくと、地面に森岡さんが倒れていました。凶器のオノを手にしたまま。  窓辺で、コウジさんはガチガチ歯の根をならして、ふるえています。  でも、マヒロは? 「マヒロ? どこ? どこに行ったの?」  マヒロはどこにもいなくなっていました。  さっきまで、そこに立っていたのに。 「マヒロ! 行かないで——マヒロッ!」  呼んでも、もう応えはありません。
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