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だから。そうやって、好きというたびに。私は何度自分の恋心を殺したことか。貴女はきっとわかっていない。
「さちさんは」
「ん?」
「……なんでも、ないです」
「えー」
「なんでも! ないです!」
教えてよ、なんて言いながら、私の腕にすがってくる。その度に彼女の髪から甘い香りがして、また私の胸がぐうと痛んだ。私はきっとこの香りを思い出に何日も過ごすのだ。さちさんとの思い出にすがって、何日も、何ヶ月も過ごすのだ。そんなこと彼女は何も知らずに。
そもそもこの旅行だってきっかけは突然だった。うちの地元で行われるお祭りに行ってみたいから、だからもし里帰りすることがあれば付いて行っていいかなんて。わざわざ東京に住む私にそう連絡してきたのはさちさんだった。
その言葉にホイホイ乗っかって了承したのは確かに過去の私で、そのために有給まで使って休みをもぎ取ったのも確かに私だ。そこまでして彼女と一緒にどこかに行きたかったのは、多分、一種の執着なんだと思う。顔も声もわからないネットでの関係じゃ嫌だから。だから、こうやって直接会いたいと思ったのだ。彼女がどう思っているかは知らないけれど。
「で? どこに行けばいいの?」
「えっと。多分ここをまっすぐ行って……その建物の、四階?」
「地元なのに詳しくないんだね」
「そりゃまあ、そうですよ。私の地元はもっと違うところだし」
「そうなんだ。じゃあ、私のためにわざわざ来てくれたんだね。ホテルまで取ってくれて」
「……そう、ですね」
もともと実家に帰る用事なんてないのだ。いきなり帰ったところで両親に心配される。それに彼女に会うために片道一時間半もかけて一時間に一本しかこない電車に乗るくらいなら、同じホテルを取ったほうが楽だ。安上がりだから、と行ってツインにしたのは半分くらい下心があったけれど、ダブルにしなかったのは残り半分の理性が働いたからだ。
さすがにそれは、できっこない。
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