一時、日常を抜けて

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 ……何やかんや、あいつの下宿先に来るのは初めてなのか。  重厚なえんじ色の扉を前にして、ふとそんなことに気付く。インターホンを鳴らしてからやや間が空いていて、それでもしやとタイミングの悪さを想像し始めた頃、 「は……は~い……」  扉の向こうから弱々しくも応答の声が聞こえ、少しして鍵の開く音が続いた。 「あ~……いらっしゃーい……」 「悪い。寝てたか」 「ちょうどさっき起きたとこだよー……」  間の扉を取っ払っても、いつもより元気のない声にやはり変わりはない。昔からお気に入りといっていたキャラクターの柄のパジャマ姿はともかく、顔の赤さから見て熱は想像していたよりも高いようだ。 「ちょっと待っててー……今、お茶入れるから……」  生まれたての子鹿みたい、とは割とよく使われる比喩だが、今のこいつの足の不安定さを表すならまさにそれだろうと思う。 「いやいいから。もてなしとかいいからとにかく寝てろっつの」 「う~……」  ゆっくり前を行く智乃に続いて部屋の中へ入る。台所は玄関からすぐの所にあり、無事智乃がベッドへ到着したのを見届けてから、コンビニの袋を台の上に置いた。 「食欲あるか?」 「う~ん……少しなら……」 「一応おかゆとか水とかは買ってきたけど……薬は?」 「常備のが少し……」 「良くなったら補充しとけよ」 「は~い……」 「……」  相当参っている様子だ。出来ればこのまま寝かせてやりたいが、やはり多少の食事と薬は取っておくべきだろう。  なるべく時間を取らないよう、急ぎ準備に入った。 ――――――――――
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