第一章 / Primer Capitulo

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 彼女との出会いは、半年ほど時を遡る。  社会人になって数年目の春。  年始から続いていた繁忙期も少し落ち着き、その日は久し振りの定時退社に成功した。  通い慣れたオフィスビルのエントランスを抜け、ふと違和感を覚える。  その原因はすぐに判明した。  外がまだ明るいのだ。  繁忙期には連日終電で帰宅する生活だったせいだろう。近所の定食屋で軽く夕飯を済ませる。文字通りに「晩飯」ではなく「夕飯」だ。  ただそれだけのことで少し浮かれている自分を認識しながら、都市部とベッドタウンを結ぶ列車に乗り込む。  車内に射し込む黄昏色の光。街並みの遥か彼方まで伸びていく層積雲の色調をぼんやりと眺め、それが久し振りに眼にする夕焼けだと思い当たる頃、自宅の最寄り駅で電車を降りる。  何も考えなくとも、改札までの最短距離を身体が勝手に進んでいく。  小さな頃に身に付けた泳ぎ方や、自転車の乗り方などは、小脳に一連の動作をモデル化したものが格納されていて、ずっと忘れないらしい。毎日、無意識にたどっているこの通勤経路も、小脳でモデル化されているのだろうか。
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