かくれんぼ

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 私と雅人を残して、妻は天国へと旅立った。  それから数週間の記憶は殆ど無い。  泥だらけになり、必死に母親を探し続ける息子の姿だけが、繰り返し頭の中を駆け巡る。  止めるつもりは無かった。一緒に探したかった。振り返れば、笑顔で迎え入れてくれる気がした。  そんな日々が続き、虚ろな目で庭のハナミズキを眺めていると、雅人と一緒に作った巣箱からシジュウカラが顔を出す。  妻と見る約束は果たせなかった。そう考えていると、病院で渡された手紙の存在を思い出す。  急いで鞄をひっくり返し、私宛の封筒を開ける。中には便箋が二枚入っていた。  思う様に動かせなくなった手で、私と雅人を想いながら必死に書いたのだろう。ミミズの様な文字から力強さと温かさが伝わって来た。  私は幸せでした。  プロポーズされた時、信じられないくらい嬉しかったよ。  誕生日のサプライズプレゼントは、今も大事にしまってあるからね。  雅人が産まれた時、泣いて喜んでくれたよね。  あなたは太陽の様な存在でした。  優しくしてくれて、ありがとう。仕事を頑張ってくれて、ありがとう。迷子になった時、探し出してくれて、ありがとう。失敗しちゃった料理を美味しそうに食べてくれて、ありがとう……  ……  ……  抜け殻となっていた私の瞳が再び潤み始める。涸れる事の無い涙は大きな滴となって、便箋の上で弾け飛んだ。  慌てて拭き取り、便箋の二枚目に目を向ける。そこで涙はピタリと止まった。一枚目の内容と違い、丁寧に綴られた言葉は、私への最後のお願いだった。 『あなたと、雅人と、ずっと一緒に居たいです。だから、かくれんぼする事にしました。雅人への手紙に、私の想いと魂を込めてあります。雅人には手紙の存在を告げず、あの場所へ隠して下さい。雅人が一人前になるまでは、そこで見守っています。ずっと一緒に居るとだけ伝えて下さい。そして……』  私が廃人の様になってしまう事を、妻は気付いていたのだろう。だからこそ遠い空へと旅立った後まで、私を動かそうとしている。生きさせようとしている。  この願いは、私と雅人を突き動かす想いだった。  妻の最後の願いを叶えたい。私が向こうの世界へ旅立った時、胸を張って再会したい。  消えかけていた魂の光が輝き始め、もう一度歩き出す勇気を取り戻した。  
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