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僕の恋人、古橋奈波。大学を卒業して、今は不動産会社に勤めている。不動産勤務の二十二歳と言うとバリバリのキャリア思考を連想させるけれど、実際の奈波は人と関わる仕事さえできたらどこでもよかったらしい。スーツを着ていても幼い顔立ちと小柄な体躯のせいで、全く威厳がない。子供っぽい、舌っ足らずで間延びした話し方と、ころころと変わる表情。奈波は年齢よりうんと幼く見える女の子だった。
「じゃーん! 今日はカレーでぇす」
ふたり分の皿によそったカレーのにおいは、僕の鼻腔を刺激をして急速に空腹感を思い出させた。野菜が苦手な奈波の作るカレーは、かろうじて小さく切ったじゃがいもが少しと肉しか入っていない甘口のカレーと相場が決まっている。最初こそ物足りなくも思ったけど、今じゃ母親の作るカレーなんかよりよっぽど舌に馴染んでいる。はずだった。
「あれ……にんじんが入ってる」
一目見て、違和感。
奈波は野菜が苦手のはずだ。その奈波が作るカレーに、にんじんが入るわけがない。カレーの茶色い海の中でにんじんの橙色は、やけに彩り鮮やかに見えた。
「気づいた!? トモすごーい」
僕の一言に奈波ははしゃいでみせた。それはもう嬉しそうに笑んでいる。奈波のハイテンションは今に始まったことではないが、まさか野菜のことでテンションを上げられるとは思ってもみなかった。思わず首を傾げる僕に、奈波は楽しそうに話し出した。
「こないだね、職場の飲み会でサラダ出されて、やだなあって思いながら食べたの。私、新人だし出されたもの残すわけにいかないでしょ? そしたらね、すっごい美味しかったの!」
たったそれだけのことなのに目を輝かせて言う奈波を見て、少しだけ違和感。
僕が以前、たまには野菜も食べろって言ったときは聞かなかったじゃないか。なんてどうしようもない嫉妬心が芽生える。年下の女の子相手にそんなこと、さすがに言えやしないけど。
「まあ食卓が豊かになるのはいいことだよね」
「でしょ? でも野菜って高いんだねえ。知ってた?」
得意気に訊ねる奈波のせいで僕は二年もの間、野菜を口にする機会を奪われていたんだけど。そんな僕が野菜の相場なんて知るわけがないだろ。なんて小言を飲み込んで僕は首を横に振る。
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