さよならファーザー、また会う日まで

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*  幼い頃、父とたまに出かける夜の散歩が嬉しくて仕方なかった。  同じ道なのに、昼間とは全然様相の違う薄い月明かりに照らされたその暗い道が、まるで不思議の国の世界にでも繋がっているような気がして心がうきうきと弾んだのを、今でも覚えている。  実家は山奥の静かな場所にある。夜は都会のように余計な雑音や明かりがない分、風による葉の擦れる音や虫の鳴き声が心地よく聴こえる。それに手を伸ばせば、届きそうなくらいに近く感じる星々を綺麗に見ることが出来る。  実家の物置にしまってあった日記帳を飛ばし飛ばしに読み終えた後、なんだか無性に夜空を眺めたくなった。  時刻は既に深夜の零時を過ぎている。外へ出ると、ひんやりとした風が頬に吹き付け、母のパーカーを拝借してきて良かったと思いながら大きく深呼吸した。  見上げた先にある夜空には、白く光る星々が黒の絨毯一杯に散りばめられた宝石の欠片のように瞬いている。  散歩しながら夜空を見上げる幼い私の右手を握るその頃の父の手は、とても大きくて温かかったに違いない。けれど、その感覚はもう私の掌には残っていない。  今日、病室で息もするのが苦しそうだった父の手を握った。その手が私の手を握り返すことはなく、ただ力なくだらんと開かれたままだった。  小学校に上がる手前、私は病院で発達障害だと診断された。  他者との向き合い方が極端に苦手だった私は、周りから不思議ちゃんと言われて仲間外れにされたり蔑まれることが多かった。  発達障害という病気は理解されにくい。私が発達障害だと知り、中には余計に距離をとろうとする人もいた。そのことに傷ついて、よく両親や物に八つ当たりしたりもした。  そんな行き場のない想いに折り合いをつける為に、やがて日記をつけるようになった。日記帳は十数冊にも及ぶ。その中には父との間にあった出来事も色々と書かれている。  父は母に比べるとおおらかな性格の持ち主で、私を兄弟姉妹の中で一番可愛がってくれた。  父は今現在、末期の肺癌で、2年前の私の結婚式前に余命半年と診断されている。  それから私の結婚式後にした放射線治療が功を奏し、小康状態が2年近く続いた。今月に入って痛みが一気に増し、在宅での服薬だけでは庇いきれなくなった為に再入院することとなった。
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