君にもう一度あの歌を

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噛み締めた唇から、身体が段々と強張ってくるにつれて、スーツを着ている背中から冷たい汗が吹き出してきた。このままではダメだ……。梨花子がそう思った瞬間だった。 「あれ、鬼頭さん!? 鬼頭さんでしょ?」 「え!?」 声をかけられて顔を上げると、「大須案内人」の紺色の法被(はっぴ)を着た男が朗かな笑顔を浮かべていた。その笑顔に見覚えがわずかにあった。 「もしかして……。大久保くん?」 「やっぱり、鬼頭さんか! うわー。懐かしい! 何? 地元帰って来てたんだ?」 「うん。まあね……」 「同窓会とか全然来ないから知らなかったよ。何? もしかして大須商店街で働いてんの?」 「……うん。まあね……」 二十八歳で女性で店長はウルトラメガネの社員としては妬まれるくらい順風満帆と言っていい。地元商店街に配属されるのを拒めなかったのはそこにある。こうして、自分の過去を知る人間を避けきることができないことも見越してはいたが、良くないタイミングだった。
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