月は無慈悲な夜の悪魔

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「去れ」  びっしりと生えた牙。伸びた犬歯は狼のそれを彷彿とさせる。貴方は、低く、唸るようにしてその口から言葉を発した。  多分、それも気まぐれ。本当は私のことも殺してふたりの人間の血を啜ってもよかったはずだ。でも、何となく、私を見逃すことにした。ただそれだけ。誰も信じやしない。狼男の存在なんて。例えバレても、問題などない――そんな余裕。  貴方は、人間には存在しない長い尾を振った。土煙が立ち上がる。  私の手からナイフが落ちた。それは月光を鈍く反射しながら地面を転がり、用水路の中に落っこちた。  ポトリ。  何かが落ちた。私の中で。  月が落ちる。  山の向こうに。音もなく、静かに。  私の鼓動は高まる。貴方は、血に塗れた貴方の姿はとても美しかった。  私はどれだけ長い間固まっていたのだろうか。  いつしか、目の前の死体はバラバラになって用水路に放り投げられており、狼男はいなくなっていた。代わりに、そこには血塗れで上半身裸の貴方が立っていた。  この人は、おんなじだ。  私と。  誰にも言えない衝動を抱え、生きているのだ。  罪悪感と背徳感に昂揚を覚えながら。 「私、今日見たことは誰にも言わないわ」  貴方は虚ろな目でさっきまで毛が生えて肥大していた手を見つめていた。もう、狼男はいない。ただの人間の貴方がいるだけ。 「……何で去らなかった」 「私は貴方と同じだから」 「どういう意味だ」 「人を殺した」  貴方は虚ろな視線をこちらに向けた。 「今日は返り討ちにあったけど」  脇腹の傷は浅いがジクジクと痛んだ。迂闊だった。背後から忍び寄って頸動脈を掻き切ってやるつもりだったのに、金髪の男は私の気配を感じたのか直前で振り返り、回避行動を取った。  私はその反動でよろけ、思わずナイフを手放した。男はそれを拾い、無我夢中で振り回した。そして私の脇腹にナイフが掠った。
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