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 ——大正八年、春。 「ねぇ、結城さん」 「何でしょう」 「あの集団、何? 朝っぱらから騒いで、とんでもなく暑苦しいね」  唐突に始まった騒音の原因を二階の窓から探すと、揃いの道着姿の面々がそこに居た。 「あぁ、撃剣部の朝稽古です。今週から中庭でやることになったのですよ」 「撃剣? あれ、剣術なの? 木刀というよりは、木製の槍に見えるよ」 「その通り、木槍ですよ。撃剣部で教えている宝蔵院流の槍術です」 「やっぱり槍かぁ。ほうぞういん……まぁ、いいや。で、あそこで怖い顔で指導してるのが、我らが寮長様?」 「そうです」 「ふーん。噂の寮長様、なかなか凛々しく整ったお顔立ちなんだねぇ」  窓枠に手と顎を乗せ、眼下で熱のこもった指導を続けている長身の男にぴたりと視線を合わせる。  あれが、帝都でも名の知れた伝統と格式を誇る我が校で過去随一のエリートと賞賛されている男か。初めてまともに姿を拝んだよ。 「で、『厳格で正義感が強く、高潔な努力家』だったっけ? 嫌味なくらい完璧なその噂、本当かなぁ。僕、断然、興味湧いてきたかも」  三年の司波冬星(しばとうせい)。古代ギリシャの彫像とも見紛う、端整でストイックな外見だ。  でも、完璧すぎる人間って気持ち悪い。彼もきっと隠しているはずだ。どす黒い裏の顔ってやつを。醜くて汚い面を持たない者など、この世にはいないのだから。 「いつまで?」 「え? 何……うわっ」 「いつまで、他の男への興味を口にしているのですか?」 「あっ……んっ」  窓枠に預けていた身体が引かれ、のしかかってきた相手によって唇が塞がれた。 「ここは誰の部屋?」 「ゆうき、さっ……」  そのまま唇の上で尋ねてくる相手に身体をまさぐられながら問いに答える。ここは寮監室。入寮日から僕が入り浸っている結城の私室だ。 「ちゃんとわかっていますね。ならば、よろしいです」  何も身につけていない身体を勝手知ったる指が縦横に這い回る。 「あなたが誰とどう遊んでも、この身を休めたいと思う場所が私であれば」 「あ、あぁっ」 「もう少し、休んでいきますか?」  休むどころか、鎮まったはずの身体に再び火がつけられる。 「あ、乳首……そんなに強く、するの?」 「強く吸って欲しくて、こんなに固くしているのでしょう?」  空が白むまでこの男に追い立てられていた身体は簡単にその熱を思い出し、快感を受け入れていく。 「はっ、ん……もっとっ」  窓のすぐ下から、高潔な寮長様のきびきびとした声が届く。その真上。窓際の寝台では男に身体を開き、淫らに誘い求める僕の声が切れ切れに零れる。  この落差、あまりの清濁の違いに自虐の笑みさえ凍りつく。  ねぇ、寮長様。皆の賛美を集めている清廉なあなたは、僕が住む底辺なんて見たこともないよね。いつか、同じところまで堕としてあげようか?  そうしたら、このやるせなさが少しは晴れるだろうか……。
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