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この風はどこから吹いて来るのだろう。
ゴオー、シュウー、ヒュルヒュルル、……長く消え入るまで耳に残る。日高山系の麓付近から上は、鈍い澱んだ冬景色だ。
サチカゲは母に遅れまいと、懸命に走った。
風が仔馬の耳を切って飛ぶ。乾いた空気は鼻面で凍る。
右手のまばらな木立ちの緩斜面を四頭の仲間たちが飛ばしている。
母が進む左手は急な上りにかかっている。雪肌の所々で泥水が跳ねる。……息が切れる。母の姿が丘の背に消えた。
「ブボー」と息を吐いて、力を振り絞る。やっと丘の上まで来た。
サチカゲがそこで、舞い散る粉雪の向こうに見た光景は、異様で、体が芯まで固くなるものだった。
粉雪が吹き上げる丘の上には、下から吹き上げる風雪に引き千切れるように、黄色の旗が数十本、天に向かってビリビリとはためいている。
何と言う光景だろう。
母は今、まさにその旗めがけて、突進を始めた。仔を守ろうと、勇気を奮って疾走する。
サチカゲは母の狂気を見た。恐怖で脚がすくんだ。
母について走る事が出来なかった。
ブルッと震えるサチカゲの眼の先で、母が大きく転がった。
『ブボー!』
雪煙と一緒に灰色の空に母の鮮血が飛び散った。
母は苦しげにもがいている。サチカゲは恐怖を忘れて母に駆け寄った。
金属の鋭い狩猟用の罠にかかった母の苦しげな息が、大きな鼻孔から白く長く吐き出ている。
サチカゲは恐怖と悲しさですくんだ。
この恐怖の記憶が二年後大事件に発展する事を、誰が想像できたろうか。
日高山系から吹きおり、差し込む風は
“びょうびょう”と、粉雪の山を下っていく。
ぬれて澱んだ空気がこの辺り一面を支配する二歳の真冬だった。
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