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ぼちゃん、と不格好な水音が耳に届いた。ポイを破いて逃げた赤い金魚。
「あーあ、逃げちゃった」
遠くからお囃子の声が聞こえる。出店の人を呼ぶ声。赤い浴衣。歓声。叫び声。子供の泣き声がした。おかあさぁん。泣き声のする方を見ていたら、浴衣の袖を引っ張られた。
「ちょっと。よそ見しないでよ」
「え、ごめん」
謝ったら、どこかおどけた笑い声が弾けた。白い浴衣を着た彼女は、金魚すくいの出店のおじさんから一匹だけ、金魚を貰ってにこにこと笑っている。片手にぶら下げたビニール袋の中の赤い金魚は、戸惑ったようにぐるぐると泳ぎ回っている。
「冗談。迷子、大丈夫かな」
ふらりと歩き出す彼女を追う。おかあさん、と泣き叫んでいた男の子は、母親らしき女性にわたあめを手渡されて泣き止んでいた。お祭りのざわめきはこんな些細なことでは消えたりしない。
「わたあめか。いいな、わたしも食べよ」
「まだ食べるの」
「まだ食べるの。お祭りのときくらいだもの、わたあめなんて。あとは、そうだなぁ、りんご飴でも買って、」
ちらり、と彼女は僕を振り返る。ありふれた焦げ茶の瞳は笑っている。赤い浴衣が目に入る。そんなことを言ったら、目の前の白い浴衣を着た彼女は、またおどけた声で僕に釘を刺すんだろうか。よそ見は厳禁なのだ。
彼女はやはり、おどけたように言う。
「あとは浮気現場の写真を一枚、で今年の夏祭りはこびり付いた思い出になるね」
わたあめはっけーん。ひらひらと白い浴衣が器用に人混みの間をすり抜ける。僕はちょっとため息をついて、その後を追った。下駄は歩きにくい。浴衣も足元にまとわりつくような感じがした。人混みの熱気にくらくらとめまいがする。
人混みはあまり得意ではない。だから僕は今までお祭りに来た事はほとんどなかったし、今年も来ないつもりだった。すれ違う人と時折ぶつかるのがたまらなく嫌だと思う。
浴衣の袖が、また引っ張られる。
「こっちだよ」
おどけた声。笑う口元。ありふれた焦げ茶の瞳も楽しそうに笑っているのに。
「よそ見しないでよ、って言ってるじゃないの」
袖を握ったまま、彼女はするすると人混みをすり抜ける。ほとんど人とぶつからないのが、少し不思議だった。器用なのだろう。うらやましい。彼女の金魚をぶら下げた方の手には、袋に詰めてあるわたあめが握られている。
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