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「皆さん、この患者はんとお知り合いなんでっしゃろ。何ぞ知らはりませんやろか。故郷やら家族やら」
「知らんな。知り合いと言っても、元いた屯所にある日ふらりと迷い込んで来て、気づくと炊事方をやっていたというだけのことだ。詳しい素性は俺にもわからん」
根拠はないんだが、斎藤さんが端折って言わないでいることがまだありそうな気がしてならない。
「せや。新はん、読み書きはできますかいな」
「ええ、まあ」
先生は真新しい小さな帳面を俺に渡した。
「さっきのように思い出したことがあれば書きとめておいてほしいんや」
「はい。わかりました」
「な。斎藤はん。この患者はん、行儀も受け答えもちゃんとしとるし読み書きもできる。そこそこええとこの『ぼん』やったんかもしれん。故郷(くに)がわかれば実家にでも帰って養生するんが一番なんやがな。ま、焦らんと。だんだんですわ」
片付けを始めた先生と斎藤さんに俺は冷たい茶を出した。
「や、こらおおきに。夏はこれが一番ですわ。下戸ですよって」
先生は美味しそうに茶を飲み干した。
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