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「めっそうもない。わては日の本一の親不孝もんですわ。恩を返すべき親がおって、食うに困らん稼業もある。はたから見たら恵まれ過ぎやとも思う。せやけど、今やりたいことをどうしても捨てられん」
遠くを見るような先生に、斎藤さんはしみじみと頷いた。
「なるほど……、悩ましいな。しかし、そちらの道が天命というという場合もあるぞ」
「先生のやりたいことって何ですか?剣術?」
先生は俺の問いに苦笑した。
「剣そのものがやりたいわけやのうて、人捜しのためですねん」
元々先生を連れてきたのは斎藤さんで、知り合いの道場に臨時の師範を頼まれた時の教え子だったらしい。
「そうだったのか。道は遠そうだな」
「いや、ほんまはそのお人のおる場所も様子もとっくにわかっとるんや。ほんま、人の心に鍼やら灸やら効くもんならよろしおすけどな」
「ほう。事情は知らぬが何やら訳ありのようだな」
「もしかして……その人、先生の家族?やっぱり記憶を無くしているとか?」
「ま、そんなとこや」
先生はごちそうさん、と笑って次の往診先に出かけて行った。
「痛っ……あれ」
先生の座っていた来客用の座布団を片付けようとして何か堅いものを踏んだ。
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