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「どうした」
濡れ縁で草履を履いていた斎藤さんが振り返った。
「これ……忘れ物かな」
火打ち石。
「貸せ。今なら追いつくかもしれん」
「いえ。自分で行きます」
「道を知らんだろう。迷子になられても困る」
斎藤さんが差し出した肉厚の大きな手のひらの上に火打ち石を二つ並べて乗せた時、季節外れの静電気が走った……いや、それは俺の気のせいで。
「斎藤さん……?」
……ずっと前にもこんなことがあったような。
「林五郎先生!!」
斎藤さんは先生の名を呼びながらあっという間に門の外に走り出て行ってしまっていた。
(これも書いておいた方がいいんだろうか)
次の間の書棚から筆と硯を出して墨を摺った。天気の悪い日や日没後には局長の伊東さんという人がこの部屋で皆に講義をすることがある。英語の時もあるが何か政治の話のこともある……内容はさっぱりだが。
俺が世話になっている場所は寺なのだが、伊東さんや斎藤さん達は侍で、どうやらえらい人のいる場所を警備する役目のためにここにいるようだ。毎日境内で稽古をしている光景が俺には懐かしく感じられる。記憶をなくす前に、やっぱりこの人達と一緒にいたんだろうか。
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