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ぼくは知りたい、全ての事を。
産まれた意味を、同じ種の中に居ながら孤独を感じる心を、死ななければならない定めを。
答えは何処に有るのだろう。
瞑想し、己の心の一つ一つに向き合い、浮かんで来る意識を確認する。
丁寧に探り続ければ辿り着けるのか。
ぼくがここに在ると感じる意識は、産まれる前の無に繋がるのか。
その前は一体、何だったのか。
この身が滅べば、全てを忘れて再び同じ時間を過ごすサイクルに組み込まれるのか。
滅びの先に不滅は有るのか。
新しいフロンティアを、身の内に外にと求め続けて行く命を想う。
イメージする。命の木、オッツ・キイムを。
十の球体、セフィロートを。
それらを繋ぐ二十二の径(みち)を。
物質王国マルクトからイェソド、ホドへ。
ぼくら肉体有るものが知覚出来る世界から離れ、ネツァクへ、ティファレト、ゲブラー、ケセドへ。ビナー、コクマーへ至り、そして大宇宙との接点、ケテルに至る。
この世界は物質の世界。けれど精神は物質を離れられると信じ。
死を越えた先に、肉体を離れてもなお心は生きられるのだと。
内なる精神に潜り続ける旅に因って、遥かな高みへと真っ直ぐに昇り切れば真実に辿り着けるのか。
無意識なるものから、己を知覚する自我の有意識を持って産まれ。
個々の違いを知りながら大いなる集合体としての意識に気付き、何時かはその集合的無意識の中へと還るのだと感じるのは進化の始まりが一つの生命だったからか。
無意識の領域より離れた有意識は、やがて無意識の領域に還っては大いなる流れに飲み込まれ、再び個から成る有意識として有無のサイクルを繰り返すのか。
死を経て無意識に辿り着くのではなく、個の意識を保ったまま無意識の領域を、その奥底を探ろうとするのは神の領域に踏み入れる行為、冒涜か。
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