第1章

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六.  紅いサルビアが満開となった花壇の上を蜜蜂が飛び回っていた。  翌週となった平日の午後。  職員室から北へ離れた教室棟へ向かって歩く女性がいる。  教頭の美寿々先生よりも若く、ひとまわり線の細い新人教師のような初々しさを残している。  タイトなスカートに大きめのジャケット。そのコーディネイトはそのあたりと違った大人の雰囲気を漂わせる。  右手に黒い名簿を持ち、靴音を響かせながら歩くその姿は、颯爽としていてプロのモデルも顔負けである。  ランウエイに見立てた廊下の角を曲がると若い女性教師は立ち止まった。床の上にジャケットを脱ぎ捨て、鮮やかにターンをしてみせたのだった。ブラウスの背中に入ったスリットの間から、さりげなく白い肌を覗かせてみせたのだ。正面に向き直ったその顔に視線が集まると、そこに自信に満ち溢れた女神のような美しい口元が浮かび上がった。  湧き起こる驚嘆のどよめき。  注がれる羨望の眼差し。  そう。それが私。  蒲田知絵(かまたちえ)。  「知絵。知絵ったら」  香奈美の声で知絵が我に返った。  世界史の授業である。ちょうど教師が入ってきたところだった。  縦縞模様の背広を着、あごの下に白いひげを垂らしている。初老の、知絵の見たことのない教師だった。起立、礼の号令は既に終わり全員着席している。  「では八十七頁からじゃな」  しわがれた声だった。知絵が思わず手を差し伸べたくなるほどだったが、よく見るとその教師はしっかり背筋を伸ばし、どこにも隙が感じられない。  「早速ではあるが教科書を読んで頂くとする。では、そこの君」  傍らの生徒を指名した。それがちょうど知絵であった。  唐突な話である。教科書の頁をめくるのもままならない。机の上にファッション雑誌を広げたままである。
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