良きサマリア人

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私は良きサマリア人になりたかった。 キリストの隣人の例え話に出て来る良きサマリア人。 ユダヤ人に憎まれているサマリア人。しかし、半死半生のユダヤ人を助けたのはそのサマリア人だった。祭司でさえ穢れをもらうからと見捨てたのに。そのサマリア人はそのとき、そのユダヤ人の隣人となった。 何も誰も彼もの隣人にならなくても、愛する人にとって、私は隣人でありたいと思っていた。 その年。悪魔の病と呼ばれる感染症が流行した。 空気感染はない。ただ、感染した人に触れると感染してしまう、という病気で、感染者を待つのは死のみだった。 私の彼は悪魔の病になった友人の看病をしていて感染した。 彼は言った。 「僕に触らないで。君は死んではダメだ。生きて幸せになって」 私は。 私は愛する人のためなら、死をも恐れないと思っていた。 苦しむ彼に口移しで水を飲ませることだって可能だと。 なのに。 結局私は生き残った。 ああ、私は何故あのとき、彼に触れられなかったのだろう。 咳き込む彼の背をさすることができなかったのだろう。 何度も何度も思い出す。 死に直面した彼の澄んだ瞳を。 私は何度もその手を取ろうとして、そして、結局手を引っ込めた。 私はなれなかった。 良きサマリア人どころか、最も愛する人の隣人にさえ。 私の頬を一筋の雫が伝う。 私はもう長くない。 衰弱した私の手を、孫が無垢にも握る。 「おばあちゃん、どこが痛いの? 元気になってね」 こんな小さな子供にさえできることが私にはできなかった。 何も知らない星空に願う。 もし、もう一度人生を送れるなら、私は彼の手を握りたい。 彼の隣人になりたい。 もう、叶わないことだけれど。
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