記憶

2/15
前へ
/127ページ
次へ
匠が小学4年の時、両親が離婚した。 1度も両親が喧嘩した所を見たことが無かった匠には全く信じられなかった。 父親は小さなボストンバッグを1つだけ持っていつものように玄関に行き、匠の頭を撫でた。 「元気でな」 「本当に行っちゃうの?」 「泣いてくれるのか。嬉しいな。 離婚しても父さんはずっと匠の父さんだよ。だから、困った事があったら遠慮なく頼っておいで」 父親は匠に微笑むと、そのまま玄関を出ていった。 母親はリビングで泣いていた。 匠は誰を責めることもできず、ひたすら部屋で泣き続けた。 匠の父親は高卒で小さな貿易会社に就職した。数年たった頃取引先が倒産し、困った会社は何とかお金を取り戻そうと弁護士を雇った。それが、匠の母親だった。 匠の母は有名大学を出、司法試験にも一発合格した才女で、卒業後は匠の祖父でもある自分の父の弁護士事務所に勤めた。 父と母は一目惚れで、親の反対にも負けずに結婚した。写真の中の二人はすごく幸せそうに笑っている。まさかこの数年後に離婚するなんて微塵も感じさせない笑顔だ。 次の年に匠が生まれた。そして匠の面倒をみてもらうために、母親の両親と同居を始めた。その頃から、だんだんと父の不満が溜まっていったらしい。 学歴も地位も名誉も給料も全て負けている父は、母に対して負い目を感じるようになっていった。 1度だけ酒に酔った父が母に向かって「威張りやがって!」と吐き捨てるように言ったことがあった。今考えると、あの言葉は父の本音だった。 父は次第に家に帰らなくなり、浮気が発覚したのと同時に家を出ていった。浮気相手は父の会社の近くのコンビニでパートをしている女性で、優しそうな人らしい。 父は自分を頼ってくれる人を求めていたのかもしれない。 「男はプライドの生き物だから、お前は引け目を感じないようにいい大学に入りなさい」 祖母は匠を膝に乗せて、何度も何度も言い聞かせた。
/127ページ

最初のコメントを投稿しよう!

406人が本棚に入れています
本棚に追加