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びっくりした匠が動けない内に、唇からすっと温もりが消えた。
あっ……。
追いかけようとしたら、今度はこつんとおでこが合わさる。篤司にされた時は何とも思わなかったのに、今はすごくドキドキする。
「小さい時から走る事だけが好きだった。誰にも負けたくないってずっと思ってた。でも今はもう1つ負けたくない事ができたよ」
「負けたくない事………」
「そう。矢萩、お前の一番の笑顔を必ず俺に向けさせてみせるよ。覚悟しといて」
育哉は匠から離れると、意思の強い眼差しを向けた。
「ほら、高浜が呼んでるよ。帰ってゆっくり休んで」
育哉は匠の頬にチュッとキスをして、何もなかったかのように言った。
「斉藤君っ!」
「そうだ。その苗字あまり好きじゃないんだ。だから、出来れば育哉って呼んでほしい」
苗字がすきじゃない………。
この言葉が匠の心を一気に冷やした。
「分かった。奇遇だね。僕も君を斉藤って呼びたくなかったんだ。もしこれからがあったら、その時は育哉って呼ぶよ。あったら、だけど」
匠は食べ掛けの弁当に蓋をすると、鞄を持って立ち上がった。そして、今日一番の冷たい笑みを浮かべた。
「今日はありがとう」
育哉には、匠が泣いているように見えた。
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