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男性は頬に触れた右手を動かさず、左腕で優しく私を抱き寄せた。
泣き止むまで私の頭を撫でてくれた手から優しさを感じた。
「もう、大丈夫です。ありがとうございました。」
やっと涙か止まり、男性から身を離し手で涙を拭った。
もっとあの腕の中にいたかったと、寂しさを感じる。
「娘よ、教えてくれ。お前は、幸せだから泣いていたのか?」
「貴方の腕の中で泣いていたときはそうです。でも、その前の涙は違う。」
「では、何故泣いていた?」
「辛かったのです。もう、消えてしまいたいほど。毎日毎日誰とも話すことなく、ここから出ることも出来ず外を眺めるだけ。そして旦那様と望みもしない行為を強いられる。もう、何のために生きているのかわからない。こんなの死んでいるのと変わらない。」
「だから毎夜、夜空に願っていたのか?」
「…、何故それを?」
まるでいつも見ていたかのような口振りに驚いた。
夜にこの庭に人影などなかったはず。
それどころか、離れに近づく人などいない。
そういえば、この人はいったい何処から来たの?
おそらくこの屋敷の人ではないはず…。
なら、どうやって入ってきたの?
突然私の中で、沢山の疑問が湧き出てくる。
「貴方は、誰?何故、その事を知っているの?」
「ここ数ヵ月、毎日お前のことを見ていた。この庭から。」
「嘘。ここには誰も近づかないし、誰もいなかった。」
「見えなかっただけだ。私は、人ではないから。」
「人じゃない?…じゃあ、貴方は何?」
「隠(おぬ)だ。」
「おぬ…?」
「美しい姿で人を惑わし、精気を喰らう化物だ。」
化物と言われても、恐怖など感じなかった。
それは美しい姿のせいなどではなく…。
「恐ろしくなったか?」
「いいえ、恐ろしくなんかない。この屋敷の人間の方がずっと恐ろしい。貴方は、優しい。」
「優しい?」
「この屋敷の人間は、私のことなど気に掛けない。私が泣いていようが、何とも思わない。でも、貴方は私に声をかけてくれた。涙を拭ってくれた。私にはそれがとても嬉しかったのです。」
私は窓から手を伸ばし、男性の頬に触れて笑った。
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