プロローグ 富山県 入善町 私の最も古い記憶

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大宮からの新幹線を越後湯沢で特急に乗り継いだ。 (北陸新幹線は未だ開通していない頃の話である) 二時間余りで列車は富山県の越中大門駅を通過する。 暫らくすると列車の進行方向右手の車窓に大きな工場 が見えてくる。 今の社名は知らないが、私が高岡市に住んでいた頃は、 クレハ紡績の工場だったと思う。 屋根の形が鋸の歯のようにギザギザの形で、明り取りの 窓が手前から奥に東を向いて繋がっている。 そんな棟が列をなして並んでいた。 私は、この工場横を列車で通過するのが楽しみであり、 ここを列車で通過する機会がある毎に、工場が見える 側の席に座ることにしていたものである。 鋸の歯のような工場棟の景観もさることながら敷地を 取り巻いている塀の端と中央部に櫓のような塔があり、 その頭の飾りつけ部分が早稲田大学の大隈記念講堂の あの塔頂の飾りつけの様子と似ていたからである。 妙に憧れていたものである。 また、この場所は北陸本線が庄川にかかる鉄橋を渡る ため、勾配をつけて徐々に高くなる盛り土の上を走り 始めるため、徐々に工場を上から覗き込んでいるよう に走る。 ために、工場の敷地の広さと植えられている木々の緑、 クリーム色の万里の長城のような塀が醸し出す雰囲気 が、ふとヨーロッパの古城のイメージを与えてくれる からであったろう。 列車は、土の上を走る響きから急に金属音に包まれ 庄川に架かる鉄橋を渡る。 トラス状の鉄橋の柱が構造上の性で上下運動するように 見えるが、その間から二上山が鉄柱の動きにの中に止ま ったように見えてくる。 この瞬間に私は故郷の高岡に帰ってきたと思うのである。
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