第一章 わーい! 入善小学校だあ~!!

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私は、昭和34年に入善小学校に入学した。 入学式当日の記念写真を見るとダブルのブレザー姿で、最 後列で七三に構えた格好で幾分緊張気味に写っている。 クラス編成は二クラス編成で、一クラスは三十七人で あった。 私は、一年B組で、担任は女の先生で、池原 昭子先生で あった。 ちなみに、一年A組も女の先生で、道又 ひろ子先生で あった。 池原先生は薄紫の色眼鏡を懸けた先生で、目が弱いから という理由で色眼鏡を懸けているのだと母から聞いて 知った。 顔立ちは、「やや、バーさん臭い」という印象が当時の 私に残っていたが、実際はそうでもなかったようだ。 入善小学校は防火モデル校舎と言うことで、田舎にある 学校にしては近代的な校舎で、北に向かって口型の形の 上辺と下辺が二階建てのコンクリート(ひょっとすると、 木造モルタルであったかも知れないが)で、左右の辺が 一階が渡り廊下で屋上がベランダになっていた。 校舎の両側が階段で、「防火シャッターが網目のものと 鎧戸のものとの二重シャッター機構であったような記憶 がある。 子供心に「カッコいい―」と、思ったことを記憶している。 講堂(体育館)へつながる廊下の途中に音楽室があり、 部屋全体が階段状に作られ、防音効果のための穴あき壁 が実にかっこいい教室であった。 校舎に比べて西側に立つ職員室や講堂は木造で旧式だった ように思う。 学校の校庭は南側に広く取られ、南側に走る道路に面して 校門があり、それから十数メートルの両側にはお花畑が作 られていた。 校庭の周囲は松の木が多く植えられ、ところどころに桜も 植えられていた。 四歳上の兄も当然五年生として在学していた。 私は一年B組の代表として児童会役員に選出され、音楽室 で開催される児童会に出席していた。 A組の代表は近藤 何某君で、身長、体形も私とよく似た 「ややオデコの」奴だった。 私の体系はヒョロナが体型で、入学式の入場の列を作る際 に背の低いものから順に並んで最後尾が私であったが、一 人前に上田 哲君が入ったが、上田君のお母さんが、 「うちの子が一番背が高いと思っていたのにもっと高い子 がいるんやなー」と言って私を見たのを覚えている。
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