終章:想いを、重ねて……。

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そんな、傍から見れば無謀とも言われる、この曲を……。 「……弾けてる……。」 響は完璧に弾きこなしていた。 ミスタッチは一切ない。 テンポの乱れもない。 「何て美しい鐘の音だろう……。」 動画で今日の演奏を見ているセドリックも、思わず感嘆の溜息を吐いた。 「悔しいね……どうして僕は、この会場の中にいなかったのだろうと悔やまれるよ。技術云々の問題じゃない。彼の技術、表現力、集中力……すべてが極限まで高まっている。同じピアニストとして悔しいけれど……、この演奏は生で聴きたかった……。」 どちらが上かなど、この時のセドリックは全く考えていなかった。 いわば『至高の領域』に達している今の響の演奏を、同じピアニストとして近くで聴きたかった、それだけだったのだ。 「私も……、こんなに美しいピアノの音色は初めてです。今の彼はきっと、『たった一つの想い』だけを胸に弾いているのでしょうね……。」 クロエも、響の演奏に『ある想い』があることを感じ取った。 純粋な、それでいてひたむきな響の演奏を、心から美しいと思った。 そして……。 「これが……さくらさんがいつも言っていた『自慢の幼馴染』か……。」 翠は、昔さくらが言っていた言葉を思い出した。 『普段は凄く上手って思うくらいだけど、どきどき神懸っていると思うときがあるのよね。それはいつだって、響が何か強い想いをもって弾いているとき……。』 当時聞いた響の『神懸った演奏』は、両親の葬儀の直後だったという。 さくらが寄り添い、慰めたが響はふさぎ込んだままだった。 その時に弾いたピアノは、聴いているさくらの胸が締め付けられるほど切なく、悲しかったという。 このときの演奏は、聴いていた全ての人たちの心を打ち、演奏後は音楽業界の様々な方面からスカウトが来たらしい。 「私も……近くで聴いてみたかった。いつか、聴けるかしら……。」 今回の演奏は、さくらから聞いたような切なさや悲しさは一切ない。 この『ラ・カンパネラ』と言う曲の中にも、優しさや強い意志が感じ取れる。 「きっと、いま目の前でこの演奏を聴いている奏ちゃんは、大泣きでしょうね。」 観客席の様子は、動画の視点からでは確認できない。 しかし、翠はきっと奏はこの演奏に胸を打たれているだろうと確信した。 「だって……私だって……。」 どうして、自分が泣いているのか分からないくらい、翠の心にも響の演奏は響いていたのだ。 世界最高峰のピアニスト3人は、麻生 響と言うただひとりのピアニストの演奏に、心を奪われたのだった。
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