午前七時三十二分

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午前七時三十二分

 午前七時三十ニ分。  私が乗るバスは、今日もすし詰め状態で、眉間に皺を寄せたしかめっ面が並んでいる。これに乗らなければ間に合わないし、かと言って、家を早く出る気力も無い。そんな顔だ。  私もそれに倣い、渋い顔をして身を潜めていた。  吊革をどうにか掴まえ、片足でバランスを取る。負荷が集中した右腕が、早くも悲鳴をあげ始めていた。左手は鞄を抑え込むのが精一杯で、手伝いにはいけそうにない。  目の前には大口を開けて眠る大柄の男がいる。彼が座席から投げ出した、大木の根を思わせる足のせいで、私は片足で立たされているのだ。  左には、イヤホンから漏れたリズムに身体を揺らす若い男。聴いている本人は目を閉じてご機嫌のようだが、漏れてくる音は、例えそれが世紀の名曲であろうとも、雑音でしかない。 「痛っ!」  身体を支える事に集中していた右足に、ピンヒールが突き刺さり、思わず声が漏れる。  下手人は化粧の濃いスーツ姿の女だ。どういう訳か、不快そうにこちらを見上げ、ぷいとそっぽを向いてしまった。  小さな不幸せが、自分を取り囲んでいるかのような気分になってくる。静かに時が過ぎるのを待つ人が多い中で、この仕打ちはどうした事だ。  ――まあ、これくらいが丁度良い。  これらの不幸せは全て、必要な事なのだから。
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