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「……平気。市場の前に、これゴミ捨て場に置いていくぞ」
アカネは男性が放っていった桶を拾い上げた。中には生ゴミが入っている。
「なら俺も一緒に行くよ。ついでに貧民街を案内してもらえないか?」
「市場の時間があるから案内は後でな」
何事もなかったかのように振る舞うアカネだが先程のような覇気はなく、どことなく落ち込んでいるように見える。報われない環境でも精一杯生きて、兄の代わりを務めようとしているところが健気だと思うと同時に、身体が勝手に動いていた。
「アカネは偉いな。そうやっていつも頑張っているんだな」
「な……、っ」
頭に手を置いてそっと撫でたら、なぜか顔を真っ赤にしてフィオのことを見上げてきた。眉をつり上げ、何度も口を開けたり閉じたりしている。子供扱いしたと勘違いさせてしまっただろうか。
「ご、ごめん。俺、小さい頃はよく母にこうしてもらっていたから、つい」
昔はフィオが武術大会で優勝したり、学校で優良生徒に選ばれたりする度に、母が頭を撫でてくれた。父と過ごした時間が少ない分、母はフィオをとても大切に育ててくれた。
もう過去の話だが。
「フィオのお母さんって、どんな人?」
「とても優しい人だったよ。俺に愛情をたくさんくれた。――三年前に病で亡くなってしまったが」
「……そっか」
母が亡くなった時は、一日中部屋に閉じこもるほど落ち込んだ。唯一の理解者を失った悲しみと、そんな状況でも家族より王政を優先する父へのやるせなさで、フィオの心はずたずただった。
今はもう立ち直っているが、相変わらず父のことは好きになれない。
フィオの話で重くなってしまった空気の中を、冷たい風が横切っていく。
何と言って元の雰囲気に戻そうか考えあぐねていると、アカネがフィオの手からするりと抜け出した。
「変なこと聞いて悪かったな」
「いや、そんなことはない。気にしないでくれ」
「なら早く顔洗って市場行くぞ」
本来の目的を忘れかけていたフィオは、川岸にしゃがんだアカネの隣に腰を下ろした。
「この水は飲めるのか?」
「当たり前だろ。何のために綺麗にしてると思ってるんだ」
「そうだったな」
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