第二章

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 川の中に手を入れると水が肌を刺すように冷たくて。  手で器を作ってそれを掬い、思い切って顔に押し付けた。一回では足りず、邪念を払うように何回もばしゃばしゃと顔を洗っていると、飛沫(しぶき)が服に跳ねてしまった。 「ちょ、こっちまで飛んできてるぞ」 「あ、ごめん――うわ! 何をするんだ」  アカネの方にも水が散ってしまったようで。仕返しとばかりに手を水面に叩き付けて水しぶきをかけられる。顔と言わず服まで濡らされてしまったフィオは、またやり返すように手で川面(かわも)を切って派手に水柱を上げた。 「ッ! やったな……それ!」 「おい、俺はこんなに濡らしてないぞ」  次第に水の掛け合いは熱気を帯びてきた。フィオが浴びせればそれ以上の水が返ってくる。  そうしているうちに躱しきれない量の水をかぶってしまい、フィオは全身びしょびしょになってしまった。アカネは髪こそしとどに濡れているが、服は所々飛沫が散っている程度だ。 「オレの勝ちだな」 「こんなものに勝敗があってたまるか」 「じゃあちゃんとした勝負しようぜ! ゴミ捨て場まで競走な」 「え? あ、アカネ!?」  気が付くと横にもうアカネはおらず、桶を引っ掴んで駆けだしていくところだった。出遅れたフィオは慌ててその背中を追いかける。 「先に行くなんて狡(ずる)いぞ」 「悔しかったら抜いてみろよ」 「望むところだ!」  朝日が顔を覗かせる空の下を、二人は疾風のように駆け抜ける。まだ冷たい空気を全身に浴びていると何だか心が落ち着かなくなってきた。身体の表面は冷えているのに、奥から火のように熱いものが湧き上がってくる。 (そうか、楽しいんだ。俺は今、新しい世界で初めてのことを経験して、子供のように喜んでいる)  歓楽の正体に気付いた途端、自然と笑みが零れてきて。 「ふっ…はは、あははは!」 「なにいきなり笑ってんだよ」 「こんなにはしゃいだのは初めてだ。あの窮屈だった暮らしが嘘のようで、すごく楽しい」  王宮には自分と気軽に遊べるような子供はいなかった。いつも独りで幼少期を過ごしてきたフィオは、その時間を取り戻すかのように、涙が出るほど笑った。 「変な奴」  こちらを振り返りながら走っていたアカネの声が、風に乗って耳に届いてくる。  アカネもまた、フィオと同じように笑っていた。
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